yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

若き高橋悠治が世界に発信した現代ピアノ作品演奏

イメージ 1

  Earle Brown : Corroboree (1964) {PART 1/2} http://www.youtube.com/watch?v=SzX8_EbW-ks


毎度のことではあるけれどヤニス・クセナキスIANNIS XENAKIS(1922、ギリシャ)は、当たり前のことながらブーレーズシュトックハウゼンとはやはりおおいに違う。つねに言われていることだけれど作品の背後に数学の確率論など抽象論理の世界があるといわれてもにわかに信じがたいほどの不可思議な音色世界を聴かせて見せる。厳密な論理に裏付けられたセリー音楽世界がもつ極端な飛躍する音域に聞く情念的表現に出くわしはしても、何かクセナキスのそうした音は情念そのもののように聴こえる。結果としてそうした情念表現が生み出されているのではなく、そのもの、それ自体が情念のように聴こえる。だから背後に抽象論理の世界があるといわれてもにわかに信じがたいのだが。クセナキスにとって数学とは、そうした情念そのものとしての存在たることへの儀式ではなかっただろうか、勝手な解釈だけれど。圧倒的に迫ってきたと思うとなにやらランダムなばらばらになった雨だれのように脈絡なく好き勝手に音が降って来る。そうした音の非合理的な塊の奇妙な人間くさい世界を開示してみせる。まったく独特の、クセになる音響世界である。だいたい静かに終わるのではなく、ソロ作品が概ね雪崩れうつ音塊で終わるパターンが多いのもまえから気にはなっていることだけれど。ともかくこの「HERMA」(1960-61)はこのメインストリーム盤現代音楽ピアノ作品集である、このアルバム収録4作品の演奏者の高橋悠治に捧げられている。ところで、彼は昔から老けて見えないタイプであるが、見開きには若々しい高橋悠治ポートレートが見られる。A面2曲目はロジャー・レイノルズROGER REYNOLDS(1934、アメリカ)の「FANTASY FOR PIANIST」。アメリカ、ミシガン、アンアーバーでは、前衛的なシアターピースなどのパフォーマンス活動を展開していた「ONCE」グループの共同創設者に名を連ねている。またロバートアシュレーもこのグループに深く携わっていた。ところでこのレイノルズは日本にしばらく住んでいたこともあってか、武満徹らの現代音楽普及のための活動として歴史的な意義を持つ<クロストーク・CROSS TALK>と呼ばれた催しに尽力したとして知られている。俊才なのであろうか給費でドイツ、イタリアなどヨーロッパでの音楽留学を経ているせいかひじょうに練り上げられた緻密で,ハッタリめいたところのない落ち着きのあるいい作品を発表している。真摯に音と向き合っている印象がする優れたアメリカの作曲家であると思う。アメリカCRIレーベルで若くして作品集が出されているけれど、それは又後日採り上げようと思う。さてB面1曲目は、演奏者本人高橋悠治(1938)の「METATHESIS」。なんと彼もはや、67歳ではないか。今あらためて驚いた。すると武満が1930年生まれだから生きておれば75歳ということになるではないか。月並みな感傷表現はやめておこう。居合わせた電車の中で一心不乱にスコアーを繰っていた少年がのちの高橋悠治であったと、以前何かの本で、武満の言葉として記憶にあるが、スコアーが介在した出会いであり、鮮明な記憶であったのだろう。ともかくこの「METATHESIS」には確かにセリーにはない、いやそれをあえて拒否する異質の世界が提示されていることは聴き取れる。4曲目はアール・ブラウンEARL BROWNの「CORROBOREE」(for three pianos)。タイトルがそうだからといって3人で演奏しているわけではない。高橋ひとりで演奏しているバージョンである。ドイツの現代音楽演奏のスペシャリスト、コンタルスキー3兄弟?に63-64年に作曲され捧げられたとある。アール・ブラウンがメインストリームレコードの後ろ盾のもとに、ディレクションしての作品紹介、あるいはヨーロッパ各国でのコンサートの指導的展開が60年央から後半の現代音楽普及に大きく貢献したことは意義深い功績であるといえよう。音をねじ伏せんとするメリハリの効いたエキセントリックな作風がこのアール・ブラウンには特徴的と指摘することが出来るだろうか。