yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

偶然の牙(非決定論)を確率過程に漁どり個を超えた普遍音楽をめざすイアニス・クセナキス

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               Iannis Xenakis : Pithoprakta
               http://www.youtube.com/watch?v=sWdQBblec0M&feature=related

以下は、京セラ創業者・稲盛和夫創設の稲盛財団稲盛和夫理事長)が世界の優れた業績を上げた人々に与える、日本のノーベル賞ともいわれる京都賞思想・芸術部門受賞者の一覧である。

        ・1985年 オリヴィエ・メシアン
        ・1986年 イサム・ノグチ
        ・1987年 アンジェイ・ワイダ
        ・1988年 パウルティー
        ・1989年 ジョン・ケージ
        ・1990年 レンゾ・ピアノ
        ・1991年 ピーター・スティーヴン・ポール・ブルック
        ・1992年 カール・ライムント・ポパー
        ・1993年 ヴィトルト・ルトスワフスキ
        ・1994年 黒澤明
        ・1995年 ロイ・リキテンスタイン
        ・1996年 ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン
        ・1997年 イアニス・クセナキス
        ・1998年 ナム・ジュン・パイク
        ・1999年 モーリス・ベジャール
        ・2000年 ポール・リクール
        ・2001年 ジェルジ・リゲティ
        ・2002年 安藤忠雄
        ・2003年 吉田玉男
        ・2004年 ユルゲン・ハーバーマス
        ・2005年 ニコラウス・アーノンクール

ご覧のように現代音楽分野では、オリヴィエ・メシアンジョン・ケージ、イアニス・クセナキス、ヴィトルド・ルトスワフスキ、ジェルジ・リゲティの作曲家に授与されている。妥当ではあるだろう。選に漏れている優れた人々もいるといえばいるだろうけれど、概ね肯けるところだろう。この栄えある賞を授与されたなかの、音楽史に衝撃を奔らしめることとなるイアニス・クセナキス(1922)の『メタスタシス』(1954)。ドイツ、ドナウエッシンゲン音楽祭≪南西ドイツ放送と現地のビール会社フュルステンベルク主催の世界最古の現代音楽祭。1921年から開催され、今もなお世界の若い前衛作曲家の登竜門として、デビュー、ならびに音楽家の発掘の場として注目されている。毎年ライブを録音したCDなどが発売され、現地に足を運べないファンからも支持されている。≫(WIKIPEDIA)での初演(1955)の衝撃は語り草である。記憶は定かではないが、ある作家(ヘンリー・ミラー?)が鬱屈にやり過ごす日々、うらぶれた安アパートのベッドでの目覚めはなラジオから得体の知れぬ聴いたこともないような音の塊りに衝撃をうける文章があったように記憶する。その衝撃こそがクセナキスの激しくグリッサンドするクラスター音であった。まさしくその音達の振る舞いは、自然が立ち上がり、なることを意志する、エネルギッシュに形を求め秩序を求める動きにひきずられて音たちが霊妙な姿を現す。現代に貫通する古代霊の振る舞いが、確率に量子化された数的思考のもとに、音となって現示開け放たれる不思議の音連れである。クセナキスにとって特徴とするグリッサンドするクラスターは『新しい形態学の発見であり、抽象的様相(確率論)と同時に具体的なもの(未知の<音>素材の認識)』であった。B面「エオンタ」に聴く高橋悠治のピアノソロの、さみだれ流れ落ちてくる神秘さえ感じさせる音達の乱舞がIBMコンピュータで計算処理されてのものだと知るにおよび、人間認識の、人知のありようさえ揺さぶられる思いをするのは私だけではないだろう。『偶然の牙(非決定論)は、音楽に確率論、確立音楽をもたらした。確率過程は、(特殊な場合)決定論を吸収する。音列思考は、時間内特性にあって、確立思想の特殊な場合になる。確立思想は強力な武器。非対称、対称、個物、集団を、他のどんな方法もできないほど支配できる。』まるで神の言葉、託宣ではないか。『魂は墜ちた神。ただ脱自だけが、その真の本性を明るみに出す。生誕の車輪(転生)を逃れるために、浄化と秘儀、脱自の手段が必要となる。浄化は、音楽と医術による。イオニアの探求の魔はピタゴラスを、振動する弦の諸法則に、つまり数の哲学に導いた。こうして彼は、オルフィズム的自我を脱する。事物は数である。すべての事物は数を備える。事物は数の表れである。(神は自然数を作った。他のものすべては人間の創造物である。=クロネッカー・1823)」(クセナキス)。なんと言う普遍への意志。個を超えた音楽の了解位置づけを数という普遍・抽象観念におくクセナキスの音楽観。それゆえに『少数者の<天分>などはない。才能は、もともと万人のもの。我々はみな参加し、創造する力を持つ。創造力はみんなに与えられている。奴隷に、役人に、探求者に、芸術家に。創造は時にわれわれに、独自で特権的な成果をもたらすが、それは貴族の財産ではなく、みんなのもの。音楽は、科学や諸芸術の中で、もっともそのような可能性を持っている。だから、それはみんなの手に、子供の時から、与えられなければならない』(クセナキス)。『われわれの社会においては、音楽がある意味で神話の役割を引き継いだのではないでしょうか。』(C・レヴィ=ストロース)斯く人知を超える普遍の、凄い置き土産の作品、言葉を残しイヤニス・クセナキスは2001年2月4日人界を超出旅立っていった。