yuki-midorinomoriの日記

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浮浪者(渡り労働者)出身アヴァンギャルド、ハリー・パーチの不思議の≪土俗≫世界

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Partch: "Exordium"

           

創作楽器で有名なこのハリー・パーチ HARRY PARTCH(1901)。以前ブログで採り上げた音響彫刻作家フランソワ・バッシェとは随分と趣をことにしている。耳の聞こえない聾唖者にも触覚を通して音楽の体験を得さしめようと彫刻楽器を創作しもしたように、彼ら(フランソワ、ベルナール)バッシェ兄弟にとってはそうした創作彫刻楽器で自らが演奏すること、作曲することは意図することではなく、専門家以外の者のにも、演奏することによる<生>の体験を得ることにあった。≪私はスカンディナビアのある美術館で、楽器を奏している人たちをじっと見ている数人の人に出会った。「あなたたちは楽器を見ているんですか」と私がたずねると彼らは「いや、私たちはあの人たちを見ているんです。酔っ払ってもいないのに、こんなに多くのスカンディナビア人が楽しそうにしているのを今まで見たことがありません」と答えた。≫もちろん先のブログで紹介したように、バッシェ兄弟の音響学を踏まえた、鑑賞もできる彫刻楽器を使って実際に作曲家によって演奏されてもいる。このように彼の興味とするところは≪一番大事なものは芸術ではない。その背後にある人間だ。芸術はまさに金片(=彫刻楽器)として提出する排泄作業に過ぎない≫というようにヒューマニティである。武満徹はこのバッシェのこうしたヒューマニズムへの共感をも込めて70年大阪万国博の音楽堂(鉄鋼館)での巨大な音響彫刻制作を依頼した。彼はそのバッシェを次のように語る。≪昔の日本には左甚五郎がいた。この有名な大工はいつも鑿だけを携えて注文のあったところへ飛んでいったものだ。このようなタイプはもうなくなったようだが、バッシェは甚五郎と同じことをしている。博覧会に作品を作るため、メキシコへ、トロントへと鳥のように飛び廻る。フランソワとベルナール兄弟チームは、音楽家ではないが楽器を作る。後で作曲しようなどとは思ってもいない。彼らはよい意味での職人であり、しかもよき職人であり、日本の昔の職人気質を持っている。彼らにとっては芸術は枝葉の問題にすぎない≫(美術手帳・69・9)。さて前置きが長くなったが、今回取り上げるハリー・パーチを評してアメリカの浮浪者(渡り労働者)出身のアヴァンギャルドなどと大げさに言い募っている紹介を目にする。中国での布教のための活動をしていた親を持つ家族であれば、たぶん裕福とはいかなかっただろう。なおかつ生国アメリカに帰るも、のち多大の音楽的感性の影響を受ける事ともなる少数民族・ネイティブの住むゲットーに居住し、29年の大恐慌で職にあふれ生活の糧を失うという、そうした苛烈な人生行路であってみれば、いっとき路頭に迷う身の上が、浮浪者とことのほか興おかしく言われるに至ったのだろう。それにしてもそうした境涯の中、後年注目されるに至るとはいえ、えもいわれぬ奇妙なサウンドを奏でる多くの創作楽器と、音楽理論の実践、作品発表を貫き通したパトスはいかほどのものだっただろう。どこかで聞いたような東アジアでしばし聞かれる打楽器の音色・リズムが創作楽器から奏でられる。琵琶のような音色がする弦、まるでわが国の長唄のお囃子での、ちゃかぽこちゃかぽこと小鼓の音のようにも聴こえるものもある。またケージ作品によく聴くプリペアードピアノを操っているような音もある。中国、日本、東南アジア、インドネシアアメリカンネイティブなどごちゃ混ぜとも言いたくなるような、この泥臭さ極まる摩訶不思議な打楽器と弦の合奏。すべてハリー・パーチが、作曲し、自らが考案創作した楽器で演奏した不思議の世界。わが国および東アジアの人間にはともかく、アメリカ・西欧の人たちにはさぞやエキゾチックな不思議のサウンド世界であったことだろう。一聴するに、このような世界をすべて自らの創作楽器で提示するという情熱のありかは何か。民族楽器をそのまま取り揃えて使い、奏法開発してのエキゾチックなパフォーマンスならまだしも了解もできようが、わざわざ楽器を創作してまで人間の≪土俗≫それも土着ではない≪民俗≫を表現するこだわり、徹底性はわが国ではまず考えられもしないことだろう。さきの洗練された了解可能なフランソワ・バッシェとはちがい、不可思議な≪民俗≫アマルガムの≪土俗≫の世界表現を、自らが楽器を作り、演奏するこで成し遂げようとするハリー・パーチのパトスとはいったい奈辺にありやと呟きの出る一枚であった。



Harry Partch: The Outsider (Documentario)