冴え冴えと<サビ>るコラボレーション、トニー・オックスレイの 『ICHNOS』
イギリス・インカスレーベルで出されたトニー・オックスレイ(1938)のアルバム(Incus8)を、以前このブログで取り上げたとき、彼を評して≪鋭く研ぎ澄ました感性をもって音を構築してゆく性向に優れたところを見出すだろう≫としたことの、ふたたびの再確認である。現代音楽畑のパーカッショニストよりもはるかにセンシティブなこと間違いない彼の打ち出す音ことごとくが鋭く引き締まっているのである。この『ICHNOS』(1971)でも、アンプリファイドされたオックスレイのパーッカションからバーチカルとでも言いたくなるような厳しく垂直に打ち刻まれる際立つ音たちと、デレク・ベイリーの、当然のごとく<生>にまとわりつく意味世界からの脱自的投企、その拒絶をアナーキーにまで突っきり、厳しくうち放つギターと、バリー・ガイのベース、エヴァン・パーカーのサックス、ポール・ラザフォードのトロンボーン、ケニー・ホイーラのフリューゲル、トランペットのコラボレーションはまるで日本的心性で言う≪スキ(数寄)・さび≫のようでもある。
ここまで徹底した≪スキ(数寄)・さび≫のフリーインプロヴィゼーションもまたこのメンバーであればこその到達なのであろう。まとわりつく意味の汚濁をそぎ落とし、己を解消し、至高へと解消してゆく≪スキ(数寄)・さび≫の冷厳極まる冴え冴えとした音の0℃を目指すかのようなコラボレーションがどうしてUK、イギリスという地で練成されるにいたったのだろう。まことに興味のあることではある。
70年代央までのこうしたフリージャズ、現代音楽を巻き込んだ集団即興演奏の時代的隆盛の動向の背景には、当然トータルセリーのどん詰まり、また68年前後のベトナム戦争をめぐる世界政治状況、世界大戦後の経済上昇に伴う文化社会での軋みの噴出などの諸々があっただろう。しかしこのような≪スキ(数寄)・さび≫の冷厳極まる冴え冴えとした音のコラボレーションがこうしたイギリスの地で<サビ>るのも不思議ではある。このトニー・オックスレイ30代前半までの音楽旅程を見ると商業的にも個人的にもそれなりにうまくいっていたようであるが、どこでこうした厳しく音を見極める感性を培ったのだろうかと思う。
ネットで覗いていると、もう一方の優れたフリー・インプロヴァイザーでスポンティニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)率いていたパーカッショニストのジョン・スティーヴンスがアントン・ウエーベルンに共感を持っていたことを知り、またデレク・ベイリーも、のちアンビエント、ミニマルでおおくの秀作をものし、名を成すこととなるギャヴィビン・ブライヤー、マイケル・ナイマン(映画音楽ピアノ・レッスンで知られる)らとの交流あることを知るにいたり、時代とともに革新に自らを踏み入れる機会を得てはいたのだ。
B面にも聴く≪スサビ=荒び・遊びがスキ=数寄を支え、数寄をスサビが冴えさせた≫と評したくもなるほど見事なコラボレーションには聞き惚れるの一語である。そして≪もともと「好み」とは執着(しゅうじゃく)である。執心である。ただし、そこに止まっていては遊びにはならない。執心に出て、執心を出なければならない。数寄を遊ぶには、その数寄を同じうするものとの執着の交感があり、しかもそれでいて、その交感からわずかにそれていく格別の意地がいる≫(松岡正剛・「日本数寄」)まさにこうした世界がこのアルバムには在るのだろう。
ここまで徹底した≪スキ(数寄)・さび≫のフリーインプロヴィゼーションもまたこのメンバーであればこその到達なのであろう。まとわりつく意味の汚濁をそぎ落とし、己を解消し、至高へと解消してゆく≪スキ(数寄)・さび≫の冷厳極まる冴え冴えとした音の0℃を目指すかのようなコラボレーションがどうしてUK、イギリスという地で練成されるにいたったのだろう。まことに興味のあることではある。
70年代央までのこうしたフリージャズ、現代音楽を巻き込んだ集団即興演奏の時代的隆盛の動向の背景には、当然トータルセリーのどん詰まり、また68年前後のベトナム戦争をめぐる世界政治状況、世界大戦後の経済上昇に伴う文化社会での軋みの噴出などの諸々があっただろう。しかしこのような≪スキ(数寄)・さび≫の冷厳極まる冴え冴えとした音のコラボレーションがこうしたイギリスの地で<サビ>るのも不思議ではある。このトニー・オックスレイ30代前半までの音楽旅程を見ると商業的にも個人的にもそれなりにうまくいっていたようであるが、どこでこうした厳しく音を見極める感性を培ったのだろうかと思う。
ネットで覗いていると、もう一方の優れたフリー・インプロヴァイザーでスポンティニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)率いていたパーカッショニストのジョン・スティーヴンスがアントン・ウエーベルンに共感を持っていたことを知り、またデレク・ベイリーも、のちアンビエント、ミニマルでおおくの秀作をものし、名を成すこととなるギャヴィビン・ブライヤー、マイケル・ナイマン(映画音楽ピアノ・レッスンで知られる)らとの交流あることを知るにいたり、時代とともに革新に自らを踏み入れる機会を得てはいたのだ。
B面にも聴く≪スサビ=荒び・遊びがスキ=数寄を支え、数寄をスサビが冴えさせた≫と評したくもなるほど見事なコラボレーションには聞き惚れるの一語である。そして≪もともと「好み」とは執着(しゅうじゃく)である。執心である。ただし、そこに止まっていては遊びにはならない。執心に出て、執心を出なければならない。数寄を遊ぶには、その数寄を同じうするものとの執着の交感があり、しかもそれでいて、その交感からわずかにそれていく格別の意地がいる≫(松岡正剛・「日本数寄」)まさにこうした世界がこのアルバムには在るのだろう。
Tony Oxley『Ichnos』(1971)
Tracklist:
A1. Crossing (Sextet)
A2. Oryane (Percussion Solo)
B1. Eiroc (Quartet)
B2. Santrel (Quartet)
B3. Cadilla (Sextet)
A1. Crossing (Sextet)
A2. Oryane (Percussion Solo)
B1. Eiroc (Quartet)
B2. Santrel (Quartet)
B3. Cadilla (Sextet)
Credits:
Bass - Barry Guy
Composed By, Percussion - Tony Oxley
Guitar - Derek Bailey
Saxophone [Soprano, Tenor] - Evan Parker
Trombone - Paul Rutherford (2)
Trumpet, Flugelhorn - Kenny Wheeler
Bass - Barry Guy
Composed By, Percussion - Tony Oxley
Guitar - Derek Bailey
Saxophone [Soprano, Tenor] - Evan Parker
Trombone - Paul Rutherford (2)
Trumpet, Flugelhorn - Kenny Wheeler
Notes:
Published by Popgun Music
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Tony Oxley - Ichnos 2