yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ドラマティックな電子素材処理に呪詛を聞き現世的人間の空虚を鎮めるミシェル・シオンの『REQUIEM』(1973)

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今回はフランスのミュージック・コンクレート、電子音楽の開拓者ピエール・シェフェールのアシスタントとして働き、研鑽したミシェル・シオンMichel Chion。≪1947年フランスのクレイユ生まれ。批評家、研究者であるとともに、ミュージック・コンクレートの作曲家であり、映画やヴィデオの作家(監督)。パリ第三大学で教鞭もとっている。著作活動は、・・・・映画と音・音楽との関係を考察したものから、映画作家のモノグラフィ、ミュージック・コンクレート関連、交響詩交響曲についての論考までと実に幅広い。著書に『映画における声』(1982)、『エレクトロアコースティック・ミュージック』(1982)、『映画にとって音とはなにか』(1985、邦訳 勁草書房)、『ジャック・タチ』(1987)、『穴のあいたスクリーン――映画における話し言葉』(1988)、『オーディオヴィジョン――映画における音と映像』(1990)、『デイヴィッド・リンチ』(1992)、『音楽・メディア・テクノロジー』(1994)、『ロマン派の交響曲――ベートーヴェンからマーラーまで』(1994)など多数。≫(ネット記事より)あの難解な思想家スラヴォイ・ジジェクが彼の著書に賛辞をおくっているらしいけれども、私はこうした著書を読んだわけではなく、INA-GRMの現代音楽シリーズに入っていたこの一枚のアルバムの作品で彼を知るのみである。純電子音楽というより具体音の素材を電子処理してのミュージック・コンクレート作品である。ひじょうにドラマティックな素材処理がこのアルバムではなされており、しばしエキセントリックである。全体にメリハリのある音響作品となっている。タイトルが死者の葬礼のための『REQUIEM』であるにも係わらずそれを忘れさせるような、つまりは荘重というより現世への呪いを聴くようなのである。もちろん形式、およびテキストなどは古典の典礼を踏襲しているのにである。サンクトゥス、アニュスディ、ルクスアテルナ等々と続いてゆく。しかしこの電子音響処理の奇体さはなにか。まるで、のたうつアンチ宗教者のレクイエムのごとき呪詛を聞く思いである。神へ召されての安らぎどころではない。感情ほとばしる現世的人間の空虚を鎮めるレクイエムといえようか。この作品『REQUIEM』はINA-GRMによって依託されGroupe de Recherches Musicalesのスタジオで1973年に制作され、そして、この作品に対して1978年にフランスのディスク大賞が与えられているそうである。



ミシェル・シオンMichel Chion
http://www.michelchion.com/v1/


レクイエム(Requiem、レクィエムとも書く)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A0

ピエール・マリー・シェフェール(またはシェッフェル、Pierre Henri Marie Schaeffer, 1910 – 1995)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB