yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

間と沈黙を引き連れシンプルが魅力的でさえあるジョン・ケージの『プリペアド・ピアノと室内オーケストラのための協奏曲』(1951)ほか

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武満徹一柳慧(とし)が企画構成し行われた現代音楽祭『オーケストラル・スペースORCHESTRAL SPACE ‘68』のドキュメント。≪ところで今回の第2回(第1回は1966年 開催)は一昨年の第1回にもまして、素晴らしい盛況振りであった。東京文化会館の2千数百の座席を埋め尽くして、しかも満員で会場に入れない人が多数でてしまったほどである。現代音楽のコンサートでこんなことはかつて考えられなかった。聴衆はたしかに音楽にあたらしい何かを求めているのだろう。≫(解説・秋山邦晴)確かにこの68・9年は反戦学生運動全共闘に象徴されるように政治の季節であった。世界的にもそうであった。文化状況もまた例外ではなかった。滾(たぎ)っていたといってもいい。沸きかえっていたのだった。時代の転換点であったのだろう。そうしたなかでの現代音楽のひとコマ、その記録のアルバムである。収録曲は武満徹の2つのバンドネオンとテープ音楽のための『クロス・トーク』(1968)。高橋悠治、4つのヴァイオリンのための『6つの要素』(1965)。スティーヴ・ライヒの2台のピアノのための『ピアノ・フェーズ』。それにジョン・ケージの『プリペアド・ピアノと室内オーケストラのための協奏曲』(1951)である。聞き応えというか、新しい音楽の形を示している作品を聴き、異相の音楽体験を得る事が出来る趣向となっているのだ。今聴きかえせばなんでもないようだけれど、リアルタイムにそれを聴き、音楽体験した聴衆は、さぞやのインパクトだったろうと思われる。主題表現の音楽というより音へのこだわりの独特、音の始原と、その行く末をその響き、音色に託す武満徹バンドネオンという日本人にとってはきわめて異質な西洋伝統楽器にそうしたことを試みる果敢の『クロス・トーク』。音色に不思議を連れる高橋悠治の『6つの要素』。数学理論を使っての奇態なヴァイオリンの音色世界の提示できわめて異質を醸したこの試みは、後年捨て去ることの残念を思うばかりである。惜しいことである。この徹底をもってすれば今以上の斬新の豊穣があったのではと思えてならない。私はつねづねそう思っている。私にとっては、この頃の高橋悠治の方が面白い。そしてA面最後の、単純な反復によるモワレという音のずれの現象に新鮮な音連れ、驚きを提示した スティーヴ・ライヒの『ピアノ・フェーズ』。彼の初期作品であるテープを使っての『カムアウト』で発見したミニマル様式は、テープ録音再生という科学技術を俟って可能となった同型反復のズレがもたらしたものであった。思いもかけぬ音の位相変化の様相の現出は、なにやら人間生活の単純反復の本質を示してもいるようである。変化、驚きの意外性がことのほか新鮮なのであった。同型反復がもたらす不可測の多様な音の世界現出は、以後終生のものとして結実、その世評高らしめ豊穣な作品群を見ることとなる。さて、最後に音楽上も、その生き様、思考様式においてもアナーキストの面目躍如といったジョン・ケージの『プリペアド・ピアノと室内オーケストラのための協奏曲』である。これがチャンスオペレーション、偶然性の作曲コンセプトが本格化する前の作品であることに驚く。弦楽四重奏で聴けたような、なにやら時間・記憶、意味などの制度性を断ち切った、中世的な簡素な響きの浮遊感が思わぬ魅力をもたらすのである。初めてを主張する輝ける音たちの響きは、間と沈黙を引き連れシンプルで魅力的でさえある。かつて聞いた事のない音の立ち居振る舞いには、とまどいと新鮮がともどもやってくることだろう。是非にとはいわない、けれども一度は耳にすべき作品であることは間違いない。ケージが提示した音楽的時間の革新は体験するに値するものだと思われる。


≪そういう意味で言うと,当時はエスタブリッシュメントを批判する動きが出てきたわけですけれど,もともと前衛出身の人はある意味で最後はエスタブリッシュメントに行こうとしていたのに対して,ケージのようにエスタブリッシュしようがないような仕組みを自分で組み立ててしまって,どんどん低空飛行していく人間も出てきた.上へ行く人と下へ行く人に分かれたんですよ.≫(下記ネットページ「架橋される60年代音楽シーン・一柳慧磯崎新」より、一柳慧の発言)


≪音楽で言えば明らかですが,70-80年代で細分化,分業化が進み,いい意味でも悪い意味でもプロフェッショナルになってきて,全体性というものが失われてきたわけです.つまりトータルに音楽というものを見る人が誰もいなくなってしまって,例えば作曲家は楽譜という記号を書くだけだし,演奏家は書かれたものをなぞるだけ,という完全なプロフェッショナルになった.両方をちゃんと見渡して,音楽あるいは音と直接関わる人がいなくなるということがだいぶ進行したんじゃないかと思います.だからこそ,60年代のような即興の問題とか,固定化されないものが求められてきていることもあると思います.≫(下記ネットページ「架橋される60年代音楽シーン・一柳慧磯崎新」より、一柳慧の発言)



YOUTUBEで視聴出来るスティーヴ・ライヒ『come out』、但しメインはダンスパフォーマンスで、伴奏音楽に使われているもの。
available tension - come out
http://www.youtube.com/watch?v=ZXqQWHhG2yw


下↓は若い世代で、沸騰する60年代の芸術の動向を覗きたい方にお薦めの対談記事。真っ只中でモダンを担いつきすすんできた、優れた実践的知性の対談記事です。