yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

矢代秋雄(1929-76)『ピアノ協奏曲』(1967)。三善晃(1933-)『チェロ協奏曲』(1974)。間宮芳生(みちお)(1929-)「『ヴァイオリン協奏曲』(1959)。

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                   (上)間宮 芳生
                   (中)矢代 秋雄
                   (下)三善 晃


どうしたものだろう、この矢代秋雄(1929-76)の『ピアノ協奏曲』(1967)は第16回尾高賞受賞の名作である。はたして世評通りにうけとっていいものやら、私にはそうとは聞こえないのだけれど。ピアノは、あの高名な天才少女と謳われ日本を代表するとされるピアニスト、中村紘子。オケは若杉弘指揮の東京都交響楽団である。私には一度聞いたら忘れられないほどのピアノの旋律が強烈過ぎて、全体的な音がペロンペロンの貧相さのイメージしかわいてこないのだけれど。意図しているのか、そうでしかありえないのかシロウトの私にはわからないけれど。なんでも≪作品としての完成度の高さにおいて、たんに<協奏曲>の分野のみでなく、あらゆる日本の作品のなかでも際立ったもののひとつということができる≫(解説・木村重雄)と大賛辞である。私には、印象的なフレーズの発見に振り回され、オーケストレーションの貧相が遺されてしまった作品のように思えて仕方がない。そうしたことは、世代的にもまた作品制作年代も若干後とはいえ三善晃(1933-)の第23回尾高賞受賞作品の『チェロ協奏曲』(1974)と比べればよく分かるだろう。この三善の圧倒的な豊麗ともいえる音色と響きにつつまれ展開してゆく揺らぎのなさは歴然としている。同じフランス楽派研鑽のため斯の国へ留学修学に在ったとは思えぬほどの違いである。シロウトの単純な印象でしかないけれど、誰が聞いてもいわゆるオーケストレーションの<厚み>の圧倒的な差は否定しようがない。これこそが先の評言・賛辞に値する名作であると私には思える。チェロ独奏は、これまたその早熟のヴィルトーゾで注目された堤剛であり、オケは同じく若杉弘指揮の東京都交響楽団である。さて最後に、名実ともに大作である間宮芳生(みちお)(1929-)の毎日芸術賞(1960)受賞作品「『ヴァイオリン協奏曲』(1959)。ヴァイオリン独奏は海野義雄。オケは、渡辺暁雄指揮の東京都交響楽団である。すばらしく緊張保ちその持続する展開力が30分を越す演奏を貫く。大袈裟に過ぎるかもしれないけれど、そこにはなにものかへの使命感さえ感じられる力強さに感動をおぼえる。1960年という年は敗戦焦土と化した日本が独り立ちをはじめた時代の画期でもあった。この作品に先のような印象を抱くのもあながち牽強でもないと私は思う。よく鳴るヴァイオリンソロの背景には、信頼する愛すべき民衆の祈りと歌への共感がある。間宮が民族(俗)音楽への探求から得ただろう≪民謡にうたい込まれ、それをうたい継いで来た日本の庶民の生活への愛、人への限りないやさしさが、手のひらに焼きつくように伝わって来て消し難い、そんなすばらしい唄にいくつか出逢った。≫(間宮芳生・自作を語る)そのようにして感得した土の匂う精神性が実に伸びやかにオケとソロで練達の技法を持ってうたわれている。20代後半の成果であり、成熟であることは驚きである。





間宮 芳生(まみや みちお、1929 - )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%AE%AE%E8%8A%B3%E7%94%9F
三善 晃(みよし あきら、1933 - )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%96%84%E6%99%83
矢代 秋雄(やしろ あきお、1929 - 1976)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E4%BB%A3%E7%A7%8B%E9%9B%84