yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

インテリジェンスとインテンシヴ。いまだ緊張とリラックスが色あせないフリーコレクティヴジャズ。トニー・オクスレイ(1938-)の『4Compositions for Sextet』(1970)。

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Tony Oxley Derek Bailey 1995 Knitting Factory

            

さて今日は久しぶりにフリージャズを聞く。それもとびっきりの、しかしセンスのいいフリージャズ。イギリスは1938年シェフィールドの産。知的構成力にすぐれたドラマー・パーカッショニストのトニー・オックスレイTony Oxleyのリーダーアルバム。メンバーは錚々たるものである。
デレク・ベイリーDerek Baileyのギター、エヴァン・パーカーEvan Parkerのサックス。ケニー・ホイーラーKenny Wheelerのフリュゲルホーン、ポール・ラザフォードPaul Rutherfoedのトロンボーン、それにジェフ・クラインJeff Clyneのベース。
いずれも1970年前後のヨーロッパの熱いフリージャズを牽引していた名手ばかりである。拙ブログにても既に幾枚かを紹介して来た。私にとってフリージャズとはヨーロッパフリージャズの謂いでしかない。それは断言できる。
もっとも1985年頃以降は音盤蒐集から遠ざかった事もあり、現在の状況がどうなのかは知らない。それに若き日々愉しませてくれたアーティストも、はや鬼籍に入る巡りあわせとなってきている。
デレク・ベイリーしかり、それにオクスレイと双璧を成すもう一方の雄、柔らかく内に陶酔集中し流れるイメージ 2ような澱みないセンシティブな絡みをみせるフリージャズドラマーでオルガナイザーでもあったジョン・スティーヴンスもいまや泉下にある。
彼らイギリスのフリーミュージシャンがおしなべてインテリジェンスとインテンシヴなパフォーマンスを魅せる。そこがことのほか私には好みであった。ドイツ系の圧倒的にエネルギッシュなフリーパフォーマンスとは違いを見せていた。これはこれで大いに私を惹きつけたが、イギリスの彼らの内へ内へとねじ込んで集中するコレクティヴなインプロヴィゼーションは、知的センスの横溢を聞かせて素晴らしいのだった。
このアルバムで聴くラザフォードなど現代音楽畑での即興演奏で有名なヴィンコ・グロボカールより私には好ましい。ひじょうな集中力である。
オクスレイ、デレク・ベイリーともどもが、まったきフリーへの道に突き進む前に、のち作曲家として特異なミニマル傑作作品をものするギャビン・ブライヤーズらと行動を共にしていたことは興味深い。
ところで以下またネットページよりの長文の引用である。いつも調べもののたびページ覗いては勉強させてもらっている。拙ブログを始める前に記事検索で出会い、関心の同質性と、その内容の素晴らしさに驚いたものであった。
≪1963年から66年にかけて存続したこのグループ<ジョゼフ・ホルブルック>はもともと伝統的ジャズを演奏していたのが、65年までは完全な即興演奏をやるようになっていた。それからは完全な即興演奏と部分的即興演奏の両方をつづけた。メンバーは、当時ベースをひいていたギャビン・ブライアーズ、パーカッションのトニー・オックスリー、それと私(デレクベイリー――引用者、注)の面々だった。標準的なイディオマティック・インプロヴィゼーションからフリー・インプロヴィゼーションにいたるわれわれのグループとしての発展段階は、当時も、そして今考えても、ほとんど気づかぬほどかすかな変化の連続だった。ともかく、演奏のもっとも論理的にして当然な発展が意味するものを受容し、その道すじにしたがうという過程だったとだけはいえる。
  ダンス・ホールやナイト・クラブに雇われたプロの”コマーシャル”ミュージシャンとして歌手の伴奏をし、ときにはスタジオの仕事をするといった私の経歴を考えてみると、自分がつねにインプロヴィゼーションのもつ、いくつかの実用的な用途を利用する立場にあったことがわかる。たしかに即興演奏の能力がなければ、ほとんどの職業的音楽家の生計の場である音楽的な”売春”の世界で生き延びるのは至難のわざである。だがフリー・インプロヴィゼーションへの発展の基礎となった二つの流れをグループにもちこんだのは、私ではなく、むしろ残りの二人のメンバーだった。
 端的にいうと、当時のジャズの同時代的発展ービル・エヴァンスからジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィをとおりアルバート・アイラ-にいたるーーと接点をもち、関心をしめしていたのはトニー・オックスリーでブライアーズは現代音楽の作曲家たちーメシアンブーレーズシュトックハウゼン、ケージ、そしてそのあとにつづく人々ーに興味をもっていた。こうした関心、熱狂、執着といったものはあらゆる方向で重複していたが、これらが結合したことから論理的、有機的につぎの状況へと移行していった。そこでは、われわれの努力をひとつにまとめ、その融合を表現するには、フリー・インプロヴィゼーションしかなかった。

 ====巻頭から引用、さらに最後の文章が印象的であるので引用する。

 グループが享受したさまざまなことの中には、ギャビン・ブライアーズとトニー・オックスリーの二人が音楽的存在として、生産的な意味あいをもつ対照をなしていた事実があげられる。当時、ブライアーズはグループに対して多分に二律背反する姿勢をもっていて、いつもそこに属しているべきかどうか確信がないというふうだったが、当時の自分の音楽的立場(その後、彼は作曲家になった)には合っているという自覚はもっていたと思われる。くわえてある種の天性のアナーキー的傾向をもつ彼は、オックスリーの直哉で全身的に身を賭しているありかたと鋭い対照をなしていた。この並列的関係のため、たえず軽い音楽上の摩擦がつづいていた。この種のことは即演奏のグループにとってはきわめて生産的なものである。だが、これは一要因にすぎず、これら二人の、それぞれに違う意味で卓越した演奏家とともに仕事をすることにはその他多くの明らかな利点があった。おかげで、<ジョゼフ・ホルブルック>の一員であったこと は私にとって、比類のない音楽上の経験を残してくれたといえるだろう。≫(「インプロヴィゼーション デレク・ベイリー 即興演奏の彼方へ 工作舎1981年」から)こうしたことを背景にして、知的でインテンシヴなコレクティヴインプロヴィゼーションジャズがイギリスの地で、おもしろく、熱く展開されていたのだ。今聴き返しても、古い新しいの次元ではなく、ほっとするのだ。これほど、緊張とリラックスが色あせないフリージャズもめずらしい。『4Compositions for Sextet』(1970)。





Tony Oxley 『4 Compositions For Sextet』(1970)

Tracklist:
A1. Saturnalia
A2. Scintilla
B1. Amass
B2. Megaera

Credits:
Bass - Jeff Clyne
Guitar - Derek Bailey
Other [Liner Notes] - Michael Walters
Percussion, Written-By - Tony Oxley
Saxophone [Tenor] - Evan Parker
Trombone - Paul Rutherford (2)
Trumpet - Kenny Wheeler

Notes:
Recorded on February 7, 1970




トニー・オクスレイTony Oxley、関連マイブログ――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/31404405.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/23861064.html

ヨーロッパフリージャズに詳しい素晴らしいホームページ
http://www.ff.iij4u.or.jp/~ktomita/derekbailey.htm
http://www.geocities.jp/ecmlistener/index.html