yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

セシル・テイラーのピアノが冴えわたっているドラムのサニー・マレイとのスリリングなデュオ・プレイ。『Cecil Taylor at The Café Montmartre』(1962)

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             Cecil Taylor(1981)
             


セシル・テイラーCecil Taylor
イメージ 2先日に引き続いてのセシル・テイラー。というのも先のYOUTUBEでの映像と音によるセシル・テイラーCecil Taylorのパフォーマンスがあまりに凄かったということにつきる。レコードではさほどのインパクトを感じなかったけれど、映像が絡んでくると断然違った印象をおぼえるから難儀なことである。逆に言えば音盤を心底まじめに聞いているのかとも云われかねないほどである。映像ひとつで印象が斯くも変わるのだから。ともかくソロの映像は凄かったに尽きる。何年ごろのものかのデータが分からないとはいえ、容貌からしてそんなに昔のものではなさそうだ。それにしても凄い情動の渦巻く奔流であった。このセシル・テーラーはコンボより、デュオ、またはソロで本領発揮できるジャズプレイヤーでないのかと、今回取り上げるアルバムを聞いて再度思ったことだった。以前からそうだったけれど、このテイラーはホーンとは本質的に合わないのではないかと、彼の疾走するピアノを聞いていて感じていた。ホーン・サックスがメロディという記憶=意味世界を食い破れずにいる、アメリカンフリージャズの伝統といえば伝統、足かせといえば足かせ、その桎梏がいかんともしがたく、セシル・テイラー本人はどうだか知らないけれど、聞いてる方にしてみれば、なんとも可哀相でホーンが耳障りでしょうがなかった。かつて、メンバーに恵まれてないのじゃないかと思ったこともあったが、先日のYOUTUBEのソロ映像と、今日紹介する1962年デンマークコペンハーゲンで収録されたライヴ『Cecil Taylor at The Café Montmartre』を聴くにつれ、やはりセシル・テイラーは本質的にホーン抜きでのインプロヴィゼーションに抜群の冴えを見せるようだ。アルバート・アイラーのコンボでのドラマーのサニー・マレイの占める位置、そのインタープレイの賞賛をよく聞くけれど、セシル・テイラーとドラムのサニー・イメージ 3マレイのデュオも凄いものだ。まことにスリリングで、テイラーのピアノが冴えわたっている。しかしなぜかサックス・ホーンが馴染めないのだ。アルト・サックスのJimmy Lyonsが足を引っ張るのだ。彼が拙いとかそういう問題ではなく、たぶん、記憶=意味世界を突き崩せない保守性=伝統がミスマッチなのだ。(意味)解体への果敢が両者に比べ劣るということなのだろう。テイラーがサニー・マレーとマッチプレーする段になると俄然生き生きと疾走し、尚且つ自ずからメロディアスにもなるのだ。まったく素晴らしい冴えに冴えわたるセシル・テイラーが聴ける。はたして、セシル・テイラーはサックス・ホーンと本質的に合うのかとも思ってしまうほどである。

                           サニー・マレイ(ds)
                           Arthru "Sonny" Murray




サニー・マレイ(ds)
Arthru "Sonny" Murray

≪1937年9月21日ペンシルバニア州フィアデルフィアに生まれる。
9歳でドラムをはじめ、57年にニューヨークへ進出。
ウィリー・ザ・ライオン・スミスらスウィング系のバンドへ参加。
60年代に入りセシル・テイラーと知り合う。
その後ドン・チェリーアーチー・シェップゲイリー・ピーコックらと共演し、ニュー・ジャズ界最高のドラマーとして注目を浴びる。
(CDジャーナルより抜粋)≫(ネット記事より引用)