yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

戦争の惨禍、悲痛を歌った秀歌に増す重み。

Hiroshima & Nagasaki: 長崎県 Atomic Bombing of Japan 広島 原爆投下 通常版

             

阪神淡路大震災
イメージ 1今日仕事を終えて、夕刊を読んでいた折り、目をうって印象深い短歌があったのでそれを取り上げる。日本経済1月25日付夕刊。入門講座、現代短歌ベスト20とタイトルされて連載されている記事である。筆者は歌人の佐々木幸綱。内容は(太平洋)戦争にかかわる歌を取り上げてのものである。5首取り上げられていたけれど、中に印象深く感銘した歌を二首ここに載せることとしよう。
≪1944年(昭和19年)七月、サイパン島守備の日本軍は最後の反撃に出たが全員玉砕した。そのなかに作者の三男・信三もいた。東京で悲報に接しての挽歌である。その一年前と二年前に、作者の長男と次男が相次いで病死していた。三年連続して三人の息子に死なれたのだ。≫(記事より引用)

    独りして堪えてはをれどつはものの親は悲しと言はざらめや
                         (半田良平『幸木』)

≪長崎の原爆被爆直後の情景に取材した作だ。・・・・八月の太陽の下、多くの人々が、家族や恋人を探して、死体を抱き起こしては顔を覗いて歩いたのだ。「爆心地近くでは死体はもう黒焦げでした。兄ではないかと思う死体があれば顔を覗き、それを繰り返しながら進みました」≫(同上)

    死屍いくつうち起こし見て瓦礫より立つ陽炎に入りてゆきたり
                         (竹山広『とこしへの川』)

イメージ 3こうした悲劇は何も遠い戦争の惨禍を通して追体験し教え訓うまでもなく、関西の在住人間にとっては、直近の1995年、6千4百人以上もの死者を出した阪神淡路大震災から教えを請うことのほうが切実である。知人、友人、親類親族の多くが少なからず被災したのだ。戦争という人的災害と予測だに出来ぬ自然災害での惨禍の違いがあるにせよ、生きることへの、突然の死をもってする中断、蹂躙は如何ほどの痛撃、悲しみであるかを思い知らしめてくれるというものである。営々と築いてきた生活の一瞬にしての崩壊の悲嘆は何と形容しよう。とはいえ、きな臭ささが臭い始める今日、こうした、はや遠き歴史の悲痛の言葉イメージ 2から人が学ぶべきことの重みは日に日に増しこそすれ、軽んぜられることはない。    (29年目にしての帰国
                                  小野田 寛郎さん)


Pablo Casals-El canto de los pájaros





小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰国を果たした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%AF%9B%E9%83%8E