yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

「現実、それは単に正午の健忘症にすぎない。」と視たサルヴァドール・ダリと「昼顔」のルイス・ブニュエル共作のシュルレアリスム映像詩の名作をYOUTUBEで鑑賞。

un perro andaluz (1929, luis buñuel) COMPLETO

               

ルイス・ブニュエルLuis Buñuel
イメージ 1いやあ、まったくYOUTUBEには、またまた驚かされた。発端は、レスピーギの検索から始まり、プッチーニに行き、そこでマリア・カラスと出会い蝶々夫人などのオペラアリアを視聴楽しんでいたら、どうした経緯でか記憶にないが、ダリの文字に出くわした。Salvador Daliと表記されているだけだったが、クリックしてみたところ、驚いたことに
『アンダルシアの犬』(1928年)が出てきたではないか。しょうじきこの、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画『昼顔』で、第28回ヴェネチア国際映画祭で最高賞である金獅子賞を受賞した、スペインの映画監督ルイス・ブニュエルLuis Buñuel(1900 - 1983)とダリ共作のシュルレアリスム映画(二人が実際に見た夢をモチーフにしたといわれている映像詩)の傑作を、その評判は聞き及んでいたが、今まで見る機会を逸してきた。その作品にYOUTUBEで出くわしたのだ。やはりあの眼球シーンは衝撃であった。こうしたことを考えると、NETの動画配信はなにやら知の世界を大きく変えるように思われてならない。権利関係で秘匿に等しい扱いをされてきた貴重な映像が見ることができる。営利以外での利用の道を広げるという意味でも革新的であると私は信じる。深く検討する課題があるだろうけれど、この波は大きな波となって既成(制度)性を変えることとなるだろう。受信料を払っているにもかかわらずNHKのアーカイブへの開放性は制限され貧弱なものである。外国の国営放送のサイトに比べあのNHKのサイトの貧弱は目を覆うばかりである。技術立国が泣くというものである。民放が著作権を主張するのは理屈が合う。しかし受信イメージ 2料で制作されているNHKの権利の帰属は、アーカイブのもっと積極的な開放でこたえるべきと、YOUTUBEを利用するたびに思うことである。と、脱線したところで話は戻る。非現実的な夢や、無意識、狂気を白日の下に意外性をもって表出・表現し世界の認識地平を革新せんとしたシュルレアリスム(超・現実主義)芸術運動のひとつの成果でもある。絵画ではあの独特のヒゲの風貌と奇矯な言辞で一般にも知られているサルヴァドール・ダリはつとに知られたことである。もう教科書にも出てくるくらいの絵画史での認知である。ネットで知ったけれど、総帥アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」が岩波文庫本に収まっているのにも、時代を感じたものである。もう検証さるべき古典になってしまったということなのだろうか。時代の流れ。過去の潮流として振り返るべき対象化を得るまでになったのだろうか。ともかくこのシュルレアリスム映画のモニュメンタルな名作(映像詩)がYOUTUBEで共に鑑賞できるのをよろこびたく思い、この稿で画像貼り付けることとしよう。

「現実、それは単に正午の健忘症にすぎない。」(ダリ)


イメージ 3≪ダリの芸術論集『ナルシスの変貌』(国文社・小海永二、佐藤東洋麿訳)をパラパラと拾い読みしているうちに次の文章に目がとまった。<すべてを考え合わせると、非常に近い将来に、現実は、単に思考の衰弱と停止の状態としてしか、従ってまた、覚醒状態の不在の瞬間の一連続としてしか見なされないようになる、と思われる。ここで私は反対意見の持ち主たちの愚かな笑い声を耳にするが、われわれにとっては久しい以前から、この支離滅裂な現実は、思考の無意味な≪混乱≫と正しく比例するところまで引き戻されていた。睡眠が意識を持つ瞬間に、その睡眠から健忘症が現れる。≪健忘症≫は私がつい先刻探していた言葉である。現実、それは単に正午の健忘症にすぎない。≫(拙、ブログ「現実、それは単に正午の健忘症にすぎない。」と語るサルヴァドール・ダリより引用)

「手術台の上のこうもり傘とミシンの出会いのように美しい」(ロートレアモン伯爵
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SALVADOR DALI Maestro de sueños 1/6