yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ヒリヒリとする<生きて存る>ことの哀しみが通奏する中原中也の詩と、帽子。

イメージ 1中原中也の出身地、山口県湯田温泉中原中也記念館で、トレードマークともいえるあの特徴的な山高帽が記念館オリジナルグッズとして19,000円の受注生産で売られているとネットで知った。買ってどうするのだろう。被りでもすれば天才詩人の詩が口をついて出てくるのなら、魔法の帽子として一度手に入れてもよさそうだ。この哀しみの通奏する詩的言語感性はもう天性のものであるからだけれど。小林秀雄とくれば女性をめぐる中原中也であり、文学交友としての大岡昇平であった。団塊シルバーの学生時代、文学へ少なからず寄り道、脇見した者なら深浅はあれども齧ったはずである。大岡昇平の戦争物は、衝撃を持って読み感銘を覚えた。小林秀雄とくれば、これは<自意識>との暗闘で切実であった。そして、太宰であり、この中原中也の現実社会から疎外された、どこか浮いたヒリヒリとする存在の哀しみであった。いくら遠ざけ、蓋をしたつもりでも、目にし読めばヒリヒリと胸ざわつき、哀しくなるのだった。今日、このブログ記事を中原中也の詩句の単なる引用ページとしたきっかけは、新聞記事の切り抜きが目に留まったからであった。詩人で中原中也研究の第一人者でもある佐々木幹郎の新聞特集記事のものであった。この佐々木幹郎の詩を以前、最初期のわがブログ記事に引用しアルバム評をアップした。それは以下であった。

<1967年10月、佐藤首相のベトナム訪問をベトナム戦争に加担するものだとして新左翼系学生が阻止しようとし、羽田空港周辺で警察機動隊とゲバ棒を用いての実力闘争が行われた。その羽田空港近くの弁天橋中核派の京大生山崎博昭君が死亡した。>詩人の(高校時代の)友人がその山崎博昭君であった。

                                      佐々木幹郎
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      時は狩れ
      存在は狩れ
      いちじるしく白んでゆく精神は狩れ
      意志の赤道直下を切り進むとき
      集会のなかに聞き耳をたてている私服刑事の
      暗い決意のように直立する
      地球の突然の生誕の理由
イメージ 3      描かれない精神の地図
      中断された使者の行為の色
      やさしく濡れてくるシュプレヒコールの余韻
      雨はまた音たかく悲怒を蹴り上げている
      アスファルトを蛇行するデモ隊の
      ひとつの決意と存在をたしかめるとき
      フラッシュに映え たぎり落ちる
      充血の眼差しを下に向けた行為の
      切断面のおおきな青!


      ふとぼくは耳元の声を聞いたようだ
      ―なにをしている? いま
      ぼくの記憶を突然おそった死者のはにかみのくせ
      鋭く裂ける柘榴の匂いたつ鈍陽のなかで

      永遠に走れ
      たえざる行為の重みを走れ


      …………


      ああ 橋
      十月の死
      どこの国 いかなる民族
      いつの希望を語るな
      つながらない電話や
      過剰の時を切れ
      朝の貧血のまわる暗い円錐のなかで
      心影のゆるい坂をころげくるアジテーション
      浅い残夢の底
      ひた走る野
      ゆれ騒ぐ光は
      耳を突き
      叫ぶ声
      存在の路上を割り走り投げ
      声をかぎりに
      橋を渡れ
      橋を渡れ


      …………
 

             佐々木幹郎(「死者の鞭」・橋上の声より)

                        

この詩人佐々木幹郎が、その記事上にアップした中也の詩が『一つのメルヘン』と『帰郷』ほかであった。


       <わが半生>

     私は随分苦労して来た。
     それがどうした苦労であつたか、
     語らうなぞとはつゆさへ思はぬ。
     またその苦労が果して価値の
     あつたものかなかつたものか、
     そんなことなぞ考へてもみぬ。

     とにかく私は苦労して来た。
     苦労して来たことであつた!
     そして、今、此処(ここ)、机の前の、
     自分を見出すばつかりだ。
     じつと手を出し眺めるほどの
     ことしか私は出来ないのだ。

     外(そと)では今宵(こよい)、木の葉がそよぐ。
     はるかな気持の、春の宵だ。
     そして私は、静かに死ぬる、
     坐つたまんまで、死んでゆくのだ。



       <一つのメルヘン>

     秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
     小石ばかりの、河原があつて、
     それに陽は、さらさらと
     さらさらと射してゐるのでありました。

     陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
     非常な個体の粉末のやうで、
     さればこそ、さらさらと
     かすかな音を立ててもゐるのでした。

     さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
     淡い、それでゐてくつきりとした
     影を落としてゐるのでした。

     やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
     今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
     さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……



       <帰 郷>

     柱も庭も乾いてゐる
     今日は好い天気だ
     縁の下では蜘蛛(くも)の巣が
     心細さうに揺れてゐる

     山では枯木も息を吐く
     あゝ今日は好い天気だ
     路傍(ばた)の草影が
     あどけない愁(かなし)みをする

     これが私の故里(ふるさと)だ
     さやかに風も吹いてゐる
     心置なく泣かれよと
     年増婦(としま)の低い声もする
     あゝ おまへはなにをして来たのだと……
     吹き来る風が私に云ふ


               (ネット青空文庫より引用)





青空文庫(ネット文庫、詩作品が公開されています。)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person26.html







大岡 昇平(おおおか しょうへい, 1909 - 1988)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E6%98%87%E5%B9%B3