yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

無に哲学する日本、東洋の心性その親近性、精神の純度たかく響くハンス・ツェンダー(1936 - )『LITANEI fur drei Violoncelli』(1976)ほか。

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ハンス・ツェンダーHans Zender
イメージ 2今日紹介するのはドイツの作曲家ハンス・ツェンダーHans Zender(1936 - )である。彼は≪宗教的には十字架と観音様を一緒に自宅に祭るほど多神教的である≫(WIKIPEDIA)のだそうである。ここ最近あまり名の知れていない、といっても現代音楽だからどの作曲家もそうなのかもしれないだろうけれど、ドイツの作曲家が立て続けに取り上げられている。それは、たまたま80年央まで蒐集していたアルバムの殆んどが現代音楽で、それも当時現代音楽に特化していたWERGOレーベルがドイツのものが多いということで、偏った傾向のようになってしまっているだけである。それにしても、聞きなおしてみて、つまらないといった印象の殆んどないのは幸いであるし、シェーンベルクウェーベルンらの音楽史的山並み,高峰に連なるものとして、やはり感嘆のほかない。もちろん遡れば、バッハ、ベートヴェンに連なる伝統ではあるのだけれど。このハンス・ツェンダーは作曲家としてより、一般的にはどちらかといえば楽曲解釈に優れた指揮者としてのほうが知られており、また現代音楽の演奏にもブーレーズ同様積極的であることなどなど、私もそのように印象していた。しかし、今回のアルバムの作品など聞くと、どうしてどうして、作曲家としても一流との印象を得た。開発創造された現代音楽の良質の部分をよく吸収、咀嚼しての高水準な作品と私は聞いた。B面の『LITANEI fur drei Violoncelli』(1976)など、緊張感あふれるその音色へのこだわりの精神集中はきわめて密度が高いものがある。いやこの作品以外のイメージ 3声の入った2作品『ELEMENTE』(1976)や『RECITATIV aus der Kantate nach Meister Eckerhart』(1980)も、余韻深い作品で、日本人には感性的にフィットする作品のように思えた。フレーズなどにではなく、その響きが提示する時間空間のありよう、質がであるけれど。また≪神の本質を神性の無と表現する≫エックハルトと今日的な<存在と無>。無に哲学する日本、東洋の心性その親近性においてであるけれど。≪東洋、特に日本の伝統文化に深い愛着を示し、≫≪代表作に『無字の経』がある。≫(WIKIPEDIA)ということである。字のない<経>とは、興味そそられるではないか。ますます聞きたくなるというものである。


                                マイスター・エックハルト


付記(3/11)――

≪もし私が存在していなかったらば、「神」も存在しなかったであろう。神が「神」である原因は私なのである。もし私が無かったら、神は「神」でなかったであろう。 (説教) ≫(マイスター・エックハルト

エックハルトはお仕着せの信仰形態に満足してはならないと説く。「人間は考えられた神に満足してはならない。なぜなら考えがなくなれば神もなくなってしまうからである」。しかも神と人間は別々のものではない。「単純な人々の多くは神はあちらにいて自分たちはこちらにいると思い込んでいる。しかしそうではない。神と私、私たちはひとつである」。また「捨てる」ことを重視し「なにものにもとらわれず自由な人は神と等しくなった人であり、このような人は何も恐れるものがない」と仏教にも似た思想を語る。≫(翻訳家・徳岡知和子氏ネットページより)ここには宇宙論で言うところの「人間原理」と相同の考えがある。すなわち≪人間原理(にんげんげんり)とは、物理学、特に宇宙論において、宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。"宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから"という論理を用いる。≫(WIKIPEDIA)人間の存在めがけて宇宙は生成してきたということなのだろう。人間に収斂する宇宙ということであり、そうでなければ、何のための宇宙の存在か?宇宙の存在など何の意味もないではないかということだろう。斯くまでどうして宇宙生成、その起源、いや、なべて<始原>なるものが恒なる哲学となるのか?そこにそうしてあるという以上の意味とはなにか?人間がここに斯くして<存在>するとは。宇宙に無限遊星する銀河系の地球に存在するにいたった人間とは何か?その宇宙とは何か?……さて冒頭のエックハルトの言葉≪もし私が存在していなかったらば、「神」も存在しなかったであろう。神が「神」である原因は私なのである。もし私が無かったら、神は「神」でなかったであろう。 (説教) ≫(マイスター・エックハルト)。この<神>を<宇宙>に置き換えてなんの異和があるだろうか。