yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

情動と理知の素晴らしいせめぎあい。1972年沸騰し、たぎるFMPフリージャズ。シュリッペンバッハのピアノトリオ『PAKISTANI POMADE』(FMP‐0110)

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Alexander von Schlippenbach Trio - Sun-Luck Night-Rain

              

アレキサンダー・ホン・シュリッペンバッハAlexander von Schlippenbach
イメージ 2ひさかたぶりのドイツ・フリージャズの醍醐味。アレキサンダー・ホン・シュリッペンバッハAlexander von Schlippenbachのピアノ、マイブログ開設の初期によく取り上げ登場したエヴァン・パーカーEvan Parkerのソプラノおよびテナーサックスそしてドラムはポール・ロヴィンスPaul Lovens。最強のピアノトリオである。堪らなくアナーキーで且つインテリジェントなフリージャズ。B面1曲目の冒頭など日本の<>の小鼓を打つ前に発する、腹のそこから搾り出すあの独特の掛け声よろしく始まるのがなんとも不思議な、しかしこれには感嘆。しかしこのようなパフォーマンスが西の国のドラマーから発せられるとは。彼らのフリージャズはどうしてこうも虜にさせるのだろう。正直言って私が音盤を追っていた80年央までの時代に限って云っても、我が日本のそれらはつまらなかった。無責任だけれど今の事情は知らない。アメリカジャズへの過度の思い入れを早くに脱し、現代音楽の革新の方位からダダ的にジャズを突きぬけフリージャズへと精華した、その知と情のアマルガムは見事なものだった。このトリオなどその代表的な存在だった。このアルバム『PAKISTANI POMADE』(FMP0110-1972)の出された年代のものは、このトリオだけでなく、P・ブロッツマンにしろ、ハン・ベニンクにしろ、デレク・ベイリーにしろおしなべていいパフォーマンスのものが多い。まさに熱気の坩堝であった。もちろん日本でもそうであったと記憶する。山下洋輔のブレークは全共闘運動の真っ只中69年だった。しかし残念ながら私の風水方位は西欧にありアメリカの事情はあまり知らない。アメリカの主な革新的ミュージシャンも西欧に出向いていたはず。事情は何処もおなじだったかもしれないけれどフリーでは飯が食えなかったのだろう、というより<場>が確保できなかったのではないだろうか。昨日のアンソニー・ブラックストンなどが足場にしていたシカゴの非商業主義的芸術家集団AACMの活動が組織されたのも音楽(芸術)創造の場、生活の確保が狙いだったはずである。ブラックアフリカアート・アンサンブル・オブ・シカゴ Ensemble Of Chicagoの存在はそうした中で抜きんでていて象徴的であった。彼らも70年前後ヨーロッパを活動拠点にしていた。フリーの熱気は確かにヨーロッパ、とりわけドイツ、イギリスであった。一昔前どころではない35年!も前のアルバムを今聴きかえしてみても、熱気にあおられ聞き入り感嘆することこの上ない。これは断じてノスタルジーから来るものではない。内へと向かう冷熱のエネルギーと外へと向かうアナーキーな炸裂の情動と理知の素晴らしいせめぎあい。とにもかくにも、此処にこそヨーロッパ・フリージャズの魅力はあり、その見事な結晶昇華の一つがこのアレキサンダー・ホン・シュリッペンバッハのピアノトリオであり、このアルバムだと括っておこう。