yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ペルー先住民の壷とヨーロッパ中世の素朴な牛の絵に歴史への呼びかけを聞く。

ney flute pureloveravi

        

ペルーの壷
イメージ 1きょうは音楽記事を一休みして、新聞で目に留まった画像二つを貼り付けて終えたいと思う。いま高松塚古墳の壁画保存で喧しいけれど、個人的にはあの騒ぎようはどんなものですかねといった印象ではある。文化庁のホームページのお粗末さとそれは多分パラレルなことのように思える。で奈良文化財研究所のホームページを覗いたら、さすが自らのテリトリーゆえか公開性を保持した満足のゆく立派なものだった。またまた横道に逸れた、きょうは単に先の画像の紹介だけのつもりだった。ひとつは、作曲家の林光が仕事の帰途親戚筋の在住するペルーに立ち寄り、かの地の世界遺産ともなっている
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)遺跡を訪れての記事のなか、その親戚から贈られた先住民の作った「ペルーの壷」である。もひとつは、ヨーロッパ中世、ロマネスク時代の教会壁画のひとつ≪素朴で生気あふれる筆致で描かれている≫「牛」である。中世とは近現代とはまったく異質であるとはよく言われることだけれど、≪「ロマネスクの彫刻は、より多くの不可解な謎に包まれている。ロマネスク彫刻が私たちに告げるもろもろの夢は、空間の上でも歴史の流れのなかでも、いっそう奥深いところイメージ 2に沈んでおり、全く別の人類から発せられた信号のようにすら感じられる。」(H・フォションHenri Focillon著「ロマネスク彫刻」辻左保子訳)≫(日本経済新聞)。このように了解のしがたさで却って私たちを魅了させるのだろう。名著「中世の秋」でルネサンスを魅惑的に語って見せたオランダの歴史家ヨーハン・ホイジンガ Johan Huizingaは≪「十二世紀は比類なく創造的で造形的な時代であった。普通、ルネサンスとよぶ時代よりも、1100年代の一世紀のほうがはるかに多くの覚醒と発展に満ちていた」とロマネスクの時代をたたえてやまない。≫(同上)とにもかくにもこうした薀蓄をぬきにしても、ここに貼り付けた画像を見るだけで思いは人と歴史を駆けめぐる。





                                     「牛」