yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

「目に見えないもの、誰かの思いとか、光とか風とか、亡くなった人の面影とか私たちはそういうものに心の支えを見つけたときに、たった一人でも立っていられる」グランプリ受賞。河瀬直美監督 『殯(もがり)の森』

の森(Mogari no Mori) / 河瀬直美 (Naomi Kawase) Trailer

        

河瀬直美監督
イメージ 1ひっきょう、生とは、その絶対限界の死からの反照であり限定であるだろう。メメント・モリ(Memento mori)である。生者にとって死とはたんなる無ではない。生者は死者とともにある。死は生者に問いかける。なげられた無の限定として存在者は存在する。在ることはつねに無と背中合わせである。なぜ死が恐ろしいか、いうまでもない、それは無であるからだ。・・・

「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」(空海)。

「無限に比しては虚無、虚無に比しては全体。無と全体とのあいだの中間者。両極を把握することからは無限に遠く隔てられているので、事物の終局やその始原は、人間にとっては、しょせん、底知れぬ神秘のうちに隠されている。彼は自分がそこから引き出されてきた虚無をも、そこへ呑みこまれていく無限をも、ともに見ることができない」(パスカル)。

前に古人を見ず
後に来者を見ず
天地の悠々たるを念(おも)ひ
独り愴然(そうぜん)として涕下る(中国・古詩)

意識もつ人間は、『人はパンのみにて生きるにあらず』パンだけでは生きられない。コトバを必要とする。言葉も生きる糧だ。だが「知識の木は生命の木ではない」(パスカル)のも確かなことだ。
きのう5・28の朝日新聞夕刊トップに、河瀬直美(かわせ なおみ、1969年 - )監督の『殯(もがり)の森』がカンヌ映画祭でグランプリを受賞したとの記事があった。最高賞のパルムドールは逃したものの審査員特別大賞・グランプリを受賞した。その記事にあった受賞スピーチには誰しもが拍手を贈ったことだろう。≪「私たちの人生にはたくさんの困難がある。お金とか服とか車とか、形あるものに心のよりどころを求めようとするが、そういうものが満たしてくれるのは、ほんの一部。目に見えないもの――誰かの思いとか、光とか風とか、亡くなった人の面影とか――私たちはそういうものに心の支えを見つけたときに、たった一人でも立っていられる、そんな生き物なのだと思います」≫ (「朝日新聞」)。10年前の、河瀬直美のカンヌ・新人監督賞作品『萌の朱雀(もえのすざく)』の、まるで<能>のような抑制されたシンプルな動き、映像からにじみ出てくる人間の悲哀は強い印象と感銘を覚えたものだった。シンプルゆえか、心のひだが静謐にくっきりと伝わってくるのだった。たぶん今回の作品も、老いと死と生という大きなテーマを、先のコメントにあるバックボーンをつらぬいて、前回と同じような静謐な映像のうちに生きる「生命の木」を慈しみをもって撮っていることだろう。楽しみである。