yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

音と色の戯れ幻視に神を想い、祈るオリヴィエ・メシアン『われ、死者の復活を待ち受ける』(1964)と『天国の色彩』(1963)。

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               Messiaen Music 2. Path To Heaven.
               http://www.youtube.com/watch?v=Z4S9ME_ePB8

オリヴィエ・メシアンOlivier Messiaen
イメージ 2さてこんにち、どれほどの人が彼の作品を聴いているのだろうか。戦後現代音楽史上での多くの名作、それに独特のアプローチで書法の革新開拓に一時代を画したフランスの作曲家として名を刻まれている。しかし正直に言って知名の度合いほどには作品のほうは、その宗教的モチーフなどもあり、あまり聴かれていないのではなかろうか。これは私の単なる推量であることを祈るけれども。≪1931年に、22歳の若さでパリのサント・トリニテ教会のオルガニストに就任した。・・・彼はこの職を、その最期まで60年以上も務めることとなった。≫(WIKIPEDIA)といったぐあいに自身敬虔なクリスチャンであり、またとりわけ、≪「リズムの創作家」≫と名乗るように、世界の民俗音楽、そのリズム構造の探求や、≪世界中の鳥の声を採譜≫しての音楽作品への転用、変容しての作品化。キリスト<神>と<自然>とりわけ存在生成としてのリズムへの執拗な眼差しと拘り。こうしたモチーフについていけないと、敬して遠ざけているのが実情ではないだろうかと勝手に思い込んでいるのだけれど、さてどうだろうか。それに、≪色彩についての言及がことさら多く、音を聴くと色彩や模様などを連想するという共感覚の持ち主であり、その詳細な記述は世界の人々を驚愕させたが、それを楽譜に書き込むことも多かった。≫(WIKIPEDIA)とあるように、こうした特殊能力の全面化にいささか辟易しているのもあたらずとも・・・ではないだろうか。今日取り上げるアルバムは、メシアンに教えを乞い師事したピエール・ブーレーズ指揮によるもので、収録曲は『われ、死者の復活を待ち受ける』(1964)と『天国の色彩』(1963)の2作品である。とりわけ、後者の『天国の色彩』作品にあらわれ出でる≪“内なる色彩”は聖書の黙示録から引用した、次の5つの句から生まれたものである。

1.「御座のまわりには、緑玉のような虹が現われていた」(黙示録 第4章3節)
2.「トランペットを持った7人の天使が、それを吹く用意をした。」(黙示録 第8章6節)
3.「この星に、底知れぬ淵を開くかぎが与えられた。」(黙示録 第9章1節)
4.「聖なる都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった」(黙示録 第21章11節)
5.「都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第1の土台は碧玉、第2はサファイア、第3はメノウ、第4はエメラルド、第5は縞メノウ、第6は赤メノウ、第7はかんらん石、第8は緑柱石、第9はトパーズ、第10はひすい、第11は青玉、第12は紫水晶であった」(黙示録 第21章19、20節)

5つに分かれた各曲の構成は、すべて色彩をもとにして構成した・・・黙示録の世界、それは時間を超え、場所を超えた、光なき光の世界、夜なきよるの世界である。この世界では、謙虚さといったものより、栄光を目指すヴィジョンのうちに、恐るべき力が存在しているのだ。それを、ゆらめく炎のような色彩の中に表現したつもりである≫(メシアン)とある。斯く天国は輝く色に彩られ、したがってその<共感覚>音で満たされているというわけである。神の国へと近づく≪豊かな色彩創造≫であり、それこそがオリヴィエ・メシアンの祈りの音楽であるということなのだろうか。音と色が<共感覚>しない凡人には、いささか奇異な宗教音楽であり、現代音楽と、聴こえることだろう。しかし、そんななか、ときおり見せるハッとする音色の輝かしさ、その生成こそがメシアンメシアンたるゆえんなのだろうか。音と色の戯れ幻視に神を想い、祈るオリヴィエ・メシアン。その奇異なる響き。