yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

流麗な美に彩られた音達のなんと情感豊かな表情であることか。哀しみに満ちたリヒャルト・シュトラウス『変容(メタモルフォーゼン)Metamorphosen』。

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Richard Strauss : Metamorphosen

               
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リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864 - 1949)
イメージ 2なんと哀しみに満ちた音楽だろう。素晴らしいの一語だ。こうした雰囲気の音楽にマーラーの「交響曲第5番」、とりわけ≪ルキノ・ヴィスコンティ監督による映画『ベニスに死す』(トーマス・マン原作)で使われた・・・ハープと弦楽器による第4楽章アダージェット≫(WIKIPEDIA)が思いだされる。後期ロマン派と称されているらしいこのリヒャルト・シュトラウスにしろ、マーラーブルックナーなど、いやワーグナーも含めて、毛嫌いしてきた。ひょっとして食わず嫌いであったとして、意を翻すかもしれないけれど、ともかくあの仰々しいまでの音作りがうるさかったのだ。もうちょっと簡潔にならんのか、といった思いもあった。何でこんなに仰々しく飾り立てなくてはならないのかとの憤懣であった。これでもかといった、こってりした音楽、気分が高揚するどころかげんなりするのだった。あまり長大すぎてかえって散漫な印象がするのだった。音を追いかけるのに疲れるのだった。何もそんなに音で埋め尽くさなくてもいいだろうのに、とはこの後期浪漫派と称される作曲家たちの作品に感じることだった。たぶん華美過剰の極点、音で埋め尽くさなくては美を表現できないという<強迫>の背後に、時代のニヒリズムがあったのだとしか思えない。それはそれで時代を映していたのだとも謂えるのだろうけれど。以前拙ブログで、リヒャルト・シュトラウスをこのような意味合いで否定していたことがあった。だらだらしているといった印象であった。ところが、車中でのNHK・FMから流れていた曲にいたく感激したのが、なんとリヒャルト・シュトラウスの今日取り上げる『変容(メタモルフォーゼン)Metamorphosen』だった。素晴らしいオーケストレーション、流麗な美に彩られた音達のなんと情感豊かな表情であることか。作曲家自身の老いからくる生への諦念と、死への予感、第2次大戦ドイツ敗戦の、無残に瓦礫と化した祖国ドイツの惨状を目の当たりにしての悲痛な思いが表出されているとして人口に膾炙する1945年に作曲された作品。あらためてその感激を味わおうと我が町の図書館で借りてきたCD。カラヤン指揮のベルリン・フィルのもの。他の収録曲「交響詩ドン・キホーテ」を取り上げもせずの、いささか偏頗、片手落ちの投稿記事となっているけれど、それほどに感激した曲ゆえである。それに、ちょっとは真面目にリヒャルト・シュトラウスを聴かなくてはと思わせた曲でもある。


※追記 この稿終えて、数日経ってから≪マーラーよりリヒャルト・シュトラウスを高く評価する。特にメタモルフォーゼンは「史上最高の傑作」(366-7頁)≫とのグレン・グールドのコメントが「グレングールド発言集」(みすず書房)にあるというブログ記事と遭遇し、偉大な応援団がいたことを披露したくて綴った次第です。