yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ヘタウマ的流麗さであり<音楽するココロ>の<あるがまま・なすがまま>の伸びやかな快感。オーネット・コールマン『ジャズ来るべきものTHE SHAPE OF JAZZ TO COME』(1959)。

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Ornette Coleman, Who Do You Work For?, Belgrade, 1971

            
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オーネット・コールマンOrnette Coleman
イメージ 2まったくランダムな選択ということの結果、今日はオーネット・コールマンの『ジャズ来るべきものTHE SHAPE OF JAZZ TO COME』(1959)。何と、当事物議を醸しての登場から、およそ半世紀・50年に達しようかという時が流れているアルバムである。とはいえ、そうした侃侃囂々の時代の雰囲気を知るよしはない。後年そうしたことを知るに及んだだけのことであるけれど。いっしゅヘタウマ的な拙さ、上手さの雰囲気は独特のものである。このアルバムを聴かれたジャズファンのおおかたが多分印象される平均的な評言ではないかと思われる。A-2の「イヴェンチュアリーEventually」でのアップテンポでよどみなく流れるようなパフォーマンスされるソロ・アドリブなを聴いていると、弩シロウトながらその技量は相当なものであったのだろうと推測される。何でも、この革新の意気にもえた新進グループを強く推したのはモダンジャズクァルテットジョン・ルイスであったらしく、このことはこの中入れ解説書(粟村政昭)で知った。このジャズ界での代表的な知性人のジョン・ルイスが旗振りであったことは、彼らの行く道への確信を深めたことだろう。その後押しで出された一枚がこのアルバムだそうである。その斬新で当事ジャズ関係者を驚倒せしめたということだけれど、私には音楽上の革新の内実のほどはシロウトゆえ分からない。とはいえ、ともかくもソロのパフォーマンスの流麗さはひと際であることだけは確かなことだ。それも練り上げられた優美とかといった次元でのものではなく、ヘタウマ的流麗さであり、いいかえれば<音楽するココロ>の<あるがまま・なすがまま>の伸びやかな快感であると言っておこう。多分ここなのだろう。上手いのはいくらかいてるのだろうけれど、この伸びやかな一点において、オーネット・コールマンであり、時に斬新であったのだろう。
アルトサックス・オーネットコールマンornette colemanコルネットドンチェリーdonald cherry、ベース・チャーリー・ヘイデンcharlie haden、ドラムス・ビリー・ヒギンスbilly higginsのクァルテット。