yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

混沌・カオスの悦楽に壮快を覚える、変革、創世の余韻。フランス・フリージャズ界の先導者フランソワ・テュスクの『Intercommunal Music』(1971)

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イメージ 3さて今日は、音楽ブログ。それもフリージャズ。フランス・フリージャズ界の先覚・先導者、フランソワ・テュスクFrancois Tusquesの比較的大人数、8人編成によるまことにパワフルな、混沌の悦楽に壮快を覚えるアルバム『intercommunal music』(1971)である。このピアニスト・作曲家、フランソワ・テュスクは≪1938年生まれでフランスフリージャズ界の先導者ということである。レジスタンス運動に深く関与していた父親の機密保持のため、本人も表立った行動をとることかなわず、音楽家の母親を持ちながらピアノは耳学問、独学であったそうである。≫とだいぶ前の拙ブログへの投稿記事に記した。実際にアフガニスタンなど紛争国のゲットーに住んだ体験を持っているらしく、そうした影響もあってか、社会主義的なイデオロギーへのシンパシーをそこここに見せている風である。以前のブログに取り上げたピアノソロ作品≪プリペアド・ピアノの民俗の響きに心優しく安らぎを聴かすフランソワ・テュスクのピアノソロ『DAZIBAO NO2』(1971)。≫のカバージャケットデザインにはマルクスレーニン毛沢東の似顔絵が印刷されているものだった。そして、今回のジャケット、および中開全面の写真には、ゲットー(難民居住区)らしき、貧しさをみせつける掘っ立て小屋(バラックbarrack)の写真が印刷されている。表題からして、疎外され虐げられし人たちへの<連帯の音楽>をコンセプトとしてあることを表してもいるのだろうか。しかしジャズパフォーマンスはまったくのフリージャズであり、混沌である。なまじメロディックに、またリズミックに聞きやすくするといった媚びる大衆迎合微塵も見せないところが立派である。聴きなおしてみて、意外に共感を覚えたものだった。前に投稿のピアノソロ『ダジバオDAZIBAO NO2』(1971)も≪意外にその政治的主張とは関係のない音楽的に自立したおもしろいピアノパフォーマンスとなっている。ジョン・ケージプリペアド・ピアノ作品のジャズ版といった趣である。聴いて得した感じである。≫と讃した。今回のアルバムでの、サイドメン、サニーマレイのドラム、アランシルヴァのベースと、それにフランスのベブ・ゲーリンらの先鋭なベースなどのコレクティブなパフォーマンスがまことに小気味よく、混沌ノイジーに突っ走るのだ。このアルバムはよく出来ている。フリージャズとしてはすばらしい出来だといって良いかと思う。久しぶりに混沌、カオティックなランダムネスの悦楽を味わい堪能した。まさに混沌・カオスは、生命・情動の生成であり、変革、創世の胎動でもあるだろう。

Francois tusques(p)
Sunny murry(ds)
Louis armfield(perc)
Alan silva(cello)
Beb guerin(b)
Bob reid(b)
Alan shorter(tr)
Steve potts(altsx)