yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

歌川(安藤)広重の大胆な構図とデフォルメされた絵。これはいったい何なのか。

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歌川(安藤)広重(1797‐1858)の今に通ずる大胆な構図はまったく驚きであるけれど、この誇張したデフォルメの極地とも言える描写はいったい何を指し示しているのだろうか。不思議はいくらでもあるけれど、西洋の遠近法イメージ 3を取り入れての古来よりの山水画とはまったく違った描写をして、観念世界を描いて見せたその理解し難さは何とも説明つかない不思議さである。貼り付けた広重の代表的な作品「東海道五十三次之内 箱根」(1833頃)と、その実景(描いたと推測される地点よりの)を見比べてどのように印象されるだろうか。どのような絵画観念がこの二つの間に横たわっているのだろうか。中国山水画は実景描写ではなく観念(宗教的なものを含めての深山幽谷、奥深い山容への人が抱くさまざまなイメージ)を描いているのは明らかだ。【名著、柄谷行人の『日本近代文学の起源』の「風景の発見」には以下のくだりがある。画家、宇佐美圭司の論説よりの引用文から<「山水画の空間を語るために、山水画の場と時間を検討してみよう。山水画における”場”のイメージは西欧の遠近法における位置へと還元されるものではない。遠近法における位置とは、固定的な視点を持つ一人の人間から、統一的に把握される。ある瞬間にその視点に対応する総てのものは、座標の網の目にのってその相互関係が客観的に決定される。我々の現在の視覚も又、この遠近法的な対象把握を無言のうちにおこなっている。これに対して山水画の場は、個人がものに対して持つ関係ではなく、先験的な、形而上的な、モデルとして存在している。それイメージ 4は、中世ヨーロッパの場のあり方と、先験的であるという共通性を持つ。先験的なのは、山水画の場にあっては、中国の鉄人が悟りを開く理想郷であり、ヨーロッパ中世では、聖書、及び神であった」。つまり、山水画において、画家は「もの」を見るのでなく、ある先験的な概念を見るのである。同じようにいえば、実朝も芭蕉もけっして「風景」をみたのではない。彼らにとって、風景は言葉であり、過去の文学にほかならなかった。>(以上、柄谷行人日本近代文学の起源』より)。シンボリックであり先験的な形而上概念による認識の"場”でしかない対象としての風景。】しかし時は、もう産業の近代化、爛熟の時代である。そうしたなかでのこの自然のデフォルメの特異さは何を意味しているのだろうか。わずか四十年ほどのときを隔てての西洋絵画創生期の画家、亀井竹二郎(明治12年・1879年23歳で夭折。高橋由一らとならぶ日本での油彩画の先導者との由)の東海道五十三次を描いた油彩画と広重の同一箇所を描いたと思われるデフォルメされた絵と実景を見比べて、何を思うべきなのだろう。わずか四十年ほどで自然のもつ意味が斯くまでに変容するとは思われない。同じ自然を広重と亀井竹二郎は目の前にしてみているのだ。しかし絵としイメージ 5て描かれたその姿の違いの驚くほどの違いは何を意味しているのだろうか。描かれたものとしての<絵>の位相がまったく違っていることがことのほか興味をそそる。よく言われる<見立て>で説明がつくのだろうか。美人画にしろ、なぜあのような顔貌が一般化して描かれるのか。そんなに現代イメージ 6と顔かたちが違ってたはずはないだろうに。これらも<見立て>で説明がつくのだろうか。もっと違った何かがありそうに思えるのだけれど。何なのだろう。忽然と、といってもいいくらいにこのような広重様式が姿を消しているのをどう了解すべきなのだろう。