yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

後期ロマン派の香り濃厚、豊麗なオーケストレーション『浄夜(浄められた夜) op.4』(1899)と精神の端然を聞く無調時代の傑作『管弦楽のための変奏曲 op.31』(1926-1928)。

イメージ 1

Schoenberg - Verklärte Nacht, op.4-4

               
               投稿音源のものではありません。

イメージ 2一聴すごいですね、の言葉が出てくるほどに芳醇というか、官能的なまでの豊麗な音がオーケストレーションの極致とでも云いたくなるほどに圧倒して迫ってくる。まさに後期ロマン派の香り濃厚な圧倒する音色の華美過剰で世界を音楽する、官能的に音で塗りつぶすといった風情である。シェーンベルクはこの曲『浄夜浄められた夜)verklarte nacht op.4』(1899)(もっとも今日取り上げるヴァージョンは弦楽合奏(1943)版なんだけれど)を取ってみても、いわゆる<12音音列・無調>を引っさげての音楽革新者という歴史上の栄誉もさることながらロマン派の秀作を音楽史に刻んだ作曲家としても後世に名を残したことだろう。それほどに素晴らしい圧倒するオーケストレーションだ。拙ブログですでに傑作「月に憑かれたピエロ(ピエロ・リュネール) op.21」(1912)や「5つのピアノ曲 op.23」(1920-1923)他の革新音楽家の面での代表作などを取り上げてきた。どちらかといえばこの革新者としてのシェーンベルク以外は興味が湧かなかった。したがって今日取り上げるようなロマン派の香り濃厚な華色華美の過剰な音楽は遠ざけてきた。いちおう放送などで流れていれば聴いてきたものの熱心ではなかった。前にも云ったけれど、音の過剰が気に食わなかった。それにリヒャルトシュトラウスの稿でも言ったけれど、ここで盛り上がるかなと思えば、上り詰めずに脇へそれてゆき、いつまでもだらだらと音のみが厚みをもって華色華麗に流れてゆくその過剰の背後の<空疎>さが嫌だったのだ。はっきりとしたテーマ展開のある古典派に比べれば、音色の華美華麗のみが際立つ後期ロマン派の音楽は好きになれなかったのだ。ようするに<ダラダラ>感に嫌悪していたのだった。しかし、つい先日の、ラジオ放送でたまたま聴いて、いたく感激したリヒャルトシュトラウスの『変容(メタモルフォーゼン)Metamorphosen』を機に後期ロマン派の音楽を一度まじめに聴こうと思ったのだった。ところで、わが町の図書館にカラヤンベルリンフィルを揮ってのシェーンベルク作品集があったので借りてきたのが今日取り上げるCDで、先の後期ロマン派の香り濃厚な『浄夜浄められた夜)verklarte nacht op.4』(1899)と無調時代のこれまた傑作『管弦楽のための変奏曲 op.31』(1926-1928)の2作品が収録されている。後者の12音列技法を使っての作品でも、あくまで≪後期ロマン派音楽の伝統と歴史の延長線上≫(WIKIPEDIA)のものとしてシェーンベルクのそれら作品が評価されているように、そこに豊麗なオーケストレーションを聴くと、この作曲家の感性と資質は、まごうかたなく後期ロマン派なのだなと思ったりする。しかし、あの特徴的な<ダラダラ>感は全くない。引き締まっているのだ。やはりこの一点だけでも<革新>の精神の結実ゆえなのだなと思わせる。磨きぬかれた音たち。精神の端然を聞く思いだ。この緊張感はまこと心地よい。




Schoenberg : Variationen für Orchester (3/3)