yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

イヤニス・クセナキス。抽象的論理(数学・論理学)の結果としての響きなのに、土俗の香りがする独特の響き。

イメージ 1

Xenakis: "Akrata"

            

イメージ 2何回も聴いている所為なのか、もう音を、響きを聴いただけで作曲家が分かる。そういえば武満徹もそうだけれど、(ちなみに、愛娘からは、何を聴いてもおなじなのよね、との評言を賜ったそうだ。)今日取り上げるクセナキスも独特の響きをもつ。楽器の選択、その奏法にコダワリと美学があるのだろうか。その音色・響きの背後に、よく言われている数学理論、コンピュータを使っての独創があるとはいえ、それが直接音と成って具体化しているわけではなく、作曲家クセナキスの感性的処理が与っていることだろう。その異形の音たちの振る舞いには、つねに土俗のにおいの立ち込めてくるのが不思議なのだ。抽象的論理の結果としての響きなのに、土俗の香りがするのだ。親ナチ、ギリシャ独裁国家への反政府パルチザンとして戦闘。九死に一生を得ての生還と、死刑宣告。そうしたことがその響きの中を銃弾のごとく貫通するからだろうか。(確かに、代表作の「ノモスガンマ」の終結部は銃撃戦を思わす激しいノイズで終わったのではなかっただろうか。)私の勝手な思い込みに過ぎないのだろうか。ところで、このアルバムでカップリングされているペンデレツキを今にして聴き比べれば、やはりクセナキスの独特は際立っている。先の音響形成、作曲書法など、方法の画期の所為なのだろうか。

収録曲はイヤニス・クセナキスIANNIS XENAKISでは
「AKRATA」(1964-65)
「PITHOPRAKTA」(1955-56)
クシシトフ・ペンデレツキKRZYSZTOF PENDERECKIでは
「CAPRICCIO FOR VIOLIN & ORCHESTRA」(1967)
「DE NATURA SONORIS」(1966)


クセナキス、マイブログ――












Xenakis- Bohor (2/2) for eight track electronic tape.