yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ポール・メファノ主宰する現代音楽の演奏グループ「The Ensemble 2e2m」。無調セリーの感性の一般化が、手練の演奏でいっそう美しく奏でられる。

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イメージ 2現代音楽を主に演奏するグループ「The Ensemble 2e2m」(ちなみに2e2m の意味は"etudes et expressions des modes musicaux"( 英語で "studies and performances of musical modes")だそうである―ネットページより)を1972年に結成し、その後めざましい活躍を見せている、指揮者であり作曲家、それに現代音楽のオーガナイザー、それに教育者であるフランスのポール・メファノPaul Méfano (1937-)。この作曲家の作品集のアルバム『MEFANO』(1978)が今日取り上げるアルバム。ブーレーズより一回り下の世代で、このブログにも何回か登場している、これまた現代音楽の普及に功績あった「ドメーヌミュージカルDomaine musical」を主宰したブーレーズの後継者のジルベール・アミGilbert Amy(1936- )とほぼ同年である。それにパリ音楽院で師事した教師・作曲家がメシアンダリウス・ミヨーなど共通するところが多い。と、これ以上の情報は私には不詳である。とはいえ才能の豊かさは、この作品集を聴けば分かる。戦後現代音楽の最大の傑作と言われているブーレーズの「ル・マルトー・サン・メートル(Le marteau sans maître, 主なき槌)」(1953-55)や「プリ・スロン・プリ( マラルメによる即興)」》(1957-62)をイメージすれば大よそが了解できるだろうか。もちろん、より音色・響きの流動はいっそうの多層化で豊かで洗練されているのはジルベール・アミのブログ投稿記事で述べたとおりである。ソフィティケーションと音響空間の広がりは、やはり時代とともに練り上げられたものと言えるのだろうか。私だけかもしれないけれど、正直言って、この前面セリーを突き抜けての音色・響きへの感性の開放、豊饒化か結実したこの時期の作品が、ますます美しく聞こえてくるのだ。演奏の手練もあるだろうけれど。また、無調セリーが感性として一般化したという表れとも言えるのだろう。この時期、張りつめた美意識が世界を作り上げている。退屈、倦怠から未だ遠い。そう思える。決してノスタルジーからのものではないと思うのだけれど。師のダリウス・ミヨーに捧げられた「Madrigal」(1962)、「Ondes,Espaces Mouvants」(1975)とフルートソロ作品の「Evantails」(1976)が収められている。清新が聴けて私には「Madrigal」がいちばん面白く聴けた。とはいえ、いずれも聴き応えのある作品だった。10人程度の編成でこれだけ豊かな音色の世界が作れるとは、と言った印象だった。