yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

固着したグールド脳が聴くグレン・グールド『イギリス組曲』2枚組みとウラジーミル・フェルツマンのバッハ。

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Glenn Gould :English Suite No.1 In A BWV 806

        

イメージ 2私の脳は、聴覚は、グールド脳に固着してしまっているのだろうか。昨日例のごとくNHK・FMの「ベストオブクラシック」を帰宅途上の車中で後半部分わずか20分弱ばかりを聴いた。その流れていたピアノ演奏はウラジーミル・フェルツマン Vladimir Feltsman(1952 - )のものだった。ちょうどその2日前の新聞記事でその存在を知ったばかりのピアニストだった。見出しは≪「人生の波越え奏でる円熟味・50~60代の男性ピアニスト活躍」≫というものだった。取り上げられていた3人のうちの一人が当のフェルツマンだったのだ。新聞記事によると≪52年モスクワで生まれ、現在は米国籍のウラジーミル・フェルツマンも東西冷戦に翻弄された。19歳でパリのロン・ティボー国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝後、旧ソ連を代表する若手として順調にキャリアを踏み出したが、ユダヤ系で、国外への移住を希望した時点で完全に活動を干された。87年当時のレーガン大統領の肝いりでホワイトハウスへのデビューと米国移住がかない、テレビのドキュメンタリー番組も国際的反響を呼んだ。日本では05年まで13年間不在が続いた。・・・禅に傾倒、黒シャツ姿で「作曲の根源にある神、愛など“超越したエネルギー”の存在」を探る独特の演奏は、徐々に支持者を増やしている。≫(日本経済・2007・10・1夕刊)だそうである。放送途中からゆえ奏者の名前も分からず聴いていたのだけれど、「歌曲集“ミルテの花”から“きみにささぐ”」シューマン作曲、リスト編曲の小品を耳にしたとき、そのロマン溢れる作品の素晴らしさもさることながら、滑らかなピアノタッチが尋常でない凄さだった。感心した。そこまでが2007年4月、東京・王子ホールで催されたピアノ・リサイタルのライヴ収録されたもので、余った放送時間に流されたのが、今日私が話題にしようと思ったバッハの「イギリス組曲 第4番 ヘ長調 BWV809から 前奏曲 アルマンド、クラント」だった。CDで出されているもののよし。一聴、これがバッハ?!と言った印象であった。バッハはロマン主義時代の作曲家だったか?と思わずつぶやいた。それほどに甘く流麗だったのだ。少なくとも私には。そのときふと思った。私の脳がグレン・グールド脳として犯され、単にこうした演奏を受けつけないからだけかもしれないと。バッハと言えばグレン・グールドだった。ここから抜け出せないのか。余計な流麗さ、甘さを避け、華美過飾に纏わずクールに弾ききる、異能に美しい、音楽それ自体と化した、<主観>を越えてしまっているグレン・グールド。かつてないさまざまな独特の解釈で彩られた特異なバッハであるとは予てよりついてまわる評言だけれど、私にとっては最良のヨハン・セバスチャン・バッハだった。もちろん崇高、荘重、厳格といったバッハも良い。しかし、ロマンなバッハ?と言うことで気になりさっそく棚からグールドの『イギリス組曲』2枚組みを取り出して聴いてみた。超越した美しさだグールドは!であった。グールド脳かもしれないけれど、私にとってのバッハは、やりグールドに在りだった。バッハはロマン主義者ではない、未だ神と共に在った人である。

「神を讃えることを唯一の目的としないすべての音楽は、音楽ではなくて混沌であり悪魔の騒ぎにすぎない。」(J・S・バッハ)