yuki-midorinomoriの日記

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パブロ・ピカソ。情感のにじみでる作品群を生み出した“青の時代(1901~1904)”のピカソで私は十分である。

『海辺の母子像』(1902)
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If I Told Him:Gertrude Stein A Completed Portrait of Picasso

         

イメージ 2昨日はグレン・グールドのバッハと青磁の記事だった。連想遊びではないけれど、今日は“青の時代(1901~1904)”と称されて多くの印象深い絵を残しているパブロ・ピカソでひと言ふた言投稿しようと思う。羨ましいと思うよりなんだか病的なまでの女性遍歴、下半身の放恣奔放には却って辟易するのが本当のところだ。精神的なタフさと言うより、その逆のように私には思える。普通の尺度が物差しとならぬのが芸術家であるとの俗な了解をもちつつも、あえていえば、絶えず傍に人間がいなくては間がもてない寂しがりやの範疇だろうか。才能ある人間たちの才を求めあう磁場の強さなのか、俗っぽさも含めての交遊関係などの賑々しさは、これまたひと際であったようだ。常人なら傷つき疲弊し精神的にまいってしまうことだろう。それに女性関係ならこれ以上のことは想像に難くない。もう御免だねというところだろう。そうでないところが天才の天才たる所以かと凡俗はひとまず思考を放擲する。ことはこのような簡単卑俗なことではなく<性>エロスが大きな問題であることは確かなことだろうけれど、この際、話が大きすぎるし、この記事には身に余りふさわしくないと思われる。重すぎる。ところでピカソが教科書にも載るくらい美術史上の画家であることは今更いうこともないのだけれど、正直どれだけの人が<?>を解いて鑑賞しているだろうか。心底これは良いといったような印象でピカソキュービズムの時代の絵画を受容しているとは思えないのだけれど。美術史の知識以上ではないのではとひそかに思っているがどうだろうか。そんななか、先ほどの若きピカソの“青の時代”(1901~1904)の作品には胸打たれ印象を深くするのを、おおかたの方が肯んずるのではないだろうか。ひと言で、その描かれている対象からは祈り、悲しみ、愛、孤絶といったものの表出を見出すのではないだろうか。その時期なぜ青を基調とする、もの哀しく情感のにじみでる作品群を生み出したのかは、売れない貧乏画家としての経済的な困窮から≪コバルトやインディゴの絵具が、比較的安価で入手しやすかったこと≫との説もさることながら、その時代のピカソの内面的苦悩(画業は勿論のこと親友の死など)ゆえの必然の表出とも言われているようだ。画家でもあった父親が、わずか8才の時のピカソに描かせたリンゴの絵の図抜けていることに恐れをなし、自らの筆を折ったとのエピソードがあるくらいその技量は天才的であったとか。いや、そうしたエピソードを知らなくても15歳?の時の習作を見れば納得することだろう。私には、そうしたこともあり、ピカソは“青の時代(1901~1904)”で代表されるし、それで十分だと思っている。それほど情感溢れるヒューマンな絵がこの時期に集中的に制作されている。その後大きくさまざまな意匠の変遷を経て、フォルムを徹イメージ 3底的に解体するキュービズム絵画で鑑賞者を困惑に落としいれることとなったのはご承知のとおり。≪生涯におよそ13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な画家であるとギネスブックに記されている。≫(WIKIPEDIA)ごとく、長命とはいえ壮にして膨大な落描きと(反)俗なエピソードを残して92才の生を閉じた。キュービズム時代の絵画に思うことはあり、否定することなど思いもよらないことだけれど、それにつけても“青の時代(1901~1904)”のピカソで私は十分である。


                          鳩と少女