アンドリュー・ワイエスAndrew Wyeth(1917 - )。具象を突き抜け、ジワリと沁みこむ寂寥感。象徴の世界。
今日は、なんだか想念まとまりがつかず、本来はじっくりと鑑賞し且ついくらかの言葉を紡いでと思っていた私の好きなアメリカの画家、アンドリュー・ワイエスAndrew Wyeth(1917 - )の具象を突き抜け、沁みこむ寂寥感募る絵を貼り付け、またネットページ(ふみ ひとひら)さんよりお借りしたワイエスの言葉を引用し、貼り付けて終えたいと思う。
「素晴らしいものを見つけると私は、それをある別の思い出に直ちに結びつけてしまう。私の眼の前に存在する場面は、他の主題の広大な世界に向かって開くひとつの窓でしかないのである。絵を超越したものを私は目指しているのだ。もしそうでなかったら、すべてはあまりにも簡単だ。」
「イギリスの画家ジョン・コンスタブルも語っているように、場面に人生を加える必要はない。何故なら、静かに座ってじっと待っていれば、人生は向こうからやって来るからだ。」
「私の作品を身辺の風物を描いた描写主義だという人びとがいる。私はそういう人びとをその作品が描かれた場所へ案内することにしている。すると彼らは決まって失望する。彼らの想像していたような風景はどこにもないからだ。」
「事実、私は、ある人間の芸術といものはそのひとの愛が達する深さと同じところまでしか行けないと思っています。」
「末っ子にはよくありがちなことですが、私はいわば家族の<はずれ>で少年期を過ごし無意識のうちにもあまりあれこれやかましく言われることはありませんでした。私にもひとりだけ黒人の少年の友だちがありましたが、おおかたの時間はこのあたりの丘陵地帯、まぎれもないこの小さな領分をただ歩き廻ってはいろいろなものをながめたりしていたのです。芸術のことなど特に考えることもなかった――全然なかった。完全に自分だけのために生きていて、大抵いつもひとりぼっちでした。芸術家にとっては理想的な生活だ。従って、私が寂寞感を込めて田野や部屋の内を描く時はいつでも、それはでっち上げたドラマティックなものではない――それは私にとってごく自然なことなのです。」