yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

戸田邦雄の『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』(1957)。日本で最初の12音列技法によるヒューマンな響の作品と柴田 南雄の12音列の巧みで余情歌い上げる『北園克衛の・三つの詩』(1954-58)。

イメージ 1

柴田 南雄
イメージ 2 イメージ 3今日は、現代音楽の啓蒙、教育などで貢献のあった作曲家柴田 南雄(しばた みなお、1916 - 1996)と日本で最初に12音列技法を使っての作品を書いた戸田邦雄(とだ くにお 1915 - 2003)二人の、その12音列書法をもっての良品がカップリングされたレコード。武満徹黛敏郎らより一回り上の世代にあたる。生年を見ても分かるとおりこの二人は同世代人であり、ともに東京大学の理学部植物学科、法学部政治学科卒と、音楽とは関係のない修学コースを歩んでいる。それに両者の共通する師である諸井三郎(もろい さぶろう、1903 - 1977)も東京帝国大学文学部卒である。そもそもが演奏技術を備えた教員を養成する機関でもあった東京芸大(旧・東京音楽学校)に作曲科が設置されたのは明治の開校以後はるか後の昭和7年であったそうで、そうしたことからすれば世代的にも音楽を専門に修学することのほうが珍しかったと言えるようだ。作曲技術を学校制度の中で修得するように一般化したのは戦後になってからのようだ。ところで、このレコード解説で始めて知ったことだけれど、戸田邦雄が外交官として≪1944年サイゴン(現在のホーチミン)に渡る。プノンペン終戦を迎えた後、フランス軍によって抑留され、3年間をサイゴンにて送る。その間にルネ・レイボヴィッツの著書『シェーンベルクとその楽派』(1965年に入野義朗によって翻訳された)を読み、ピアノのための「前奏曲とフーガ」を作る。この曲は未完に終わったが、日本人が十二音技法をはじめて用いた作品だとされている(『日本の作曲家20世紀』音楽之友社、1999年)。≫(WIKIPEDIA)この記事にある入野義朗(彼も。東京帝国大学経済学部卒だ)が、てっきり日本で最初に12音列技法での作品を世に問うた作曲家だと思っていた。どちらがあとさきなどとはさほど重要なことだとも思われないけれど、ただこの3者がともども影響しあって戦後12音列無調の啓蒙、推進者であったことは記憶に留めておくべきことのようだ。さて、このアルバムに収められている戸田邦雄の『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』(1957)にはアンドレ・ジョリヴェが≪このソナタは、12音であるにもかかわらず人間的だ≫との賛辞を贈ったとあるが、確かにヒューマンな響きをもったいい作品であるといえる。もうひとつの柴田 南雄の『北園克衛の・三つの詩』(1954-58)もまたロマンティシズムと12音列の巧みで余情たっぷりと歌い上げる。こうした作品が50年代後半に既に我が国で作曲されていたことは発見であった。もっとまじめに<モダニズム>を聴きなおす必要がありそうだ。



以下備忘録として――