yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

アストル・ピアソラの『ブエノスアイレスのマリア』(1968)。素晴らしい泣きの入ったクレーメルのヴァイオリンがタンゴ・ヴァイオリン以上の洗練のパフォーマンスでタンゴ(=ピアソラ)への愛を歌う。

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Libertango - Video de película Lección de Tango (Yo Yo Ma)

         

イメージ 2アルゼンチンの音楽と言えばタンゴ。その≪強靱なリズム体の上に、ロマンティックな、時としてメランコリックな主旋律が泣くのがタンゴの魅力である。≫(WIKIPEDIA)そう、ダンスもさることながらタンゴ演奏の哀愁と熱情。以前も拙ブログにて≪どこか切なく哀しげな喧騒。熱情と哀愁。『アルゼンチン・タンゴ栄光の歴史』(1979)≫として取り上げたことがあった。斯くタンゴは好きなほうである。先日、ギドン・クレーメルブログ稿で≪帰宅途上の車中FM放送からギドン・クレーメルGidon Kremer(1947 - )率いる「クレメラータ・バルティカ」演奏するアストル・ピアソラAstor Piazzolla(1921 - 1992)の作品(タイトル不明)が流されていた。とりわけクレーメルのヴァイオリンがすばらしかったのだ。ピアソラ作品への共感とタンゴのエキセントリックといえる情動の起伏がエッジの効いたヴァイオリンソロ演奏で魅きつけたのだった。で、さっそくいつものわが町の図書館へ赴き、ピアソラ作品の演奏などは入っていないけれどクレーメルのCD3枚組みの『ギドン・クレーメルの芸術』(1991)を借りてきたのだった。≫と綴った。ピアソラの現代タンゴが斯くも洗練されて美しい作品とは、このギドン・クレーメルのタンゴ・ヴァイオリンと出会うまで思いもよらなかった。そこで、先日来より折り見つけては覗きに行っている国道筋のBOOKOFFでクレーメルの名がクレジットされているピアソラの作品2枚組みが1000円で棚に在るのを見つけた。そのくだんの放送で流れていた感動の作品でなくても、安いから良いかとばかりに買った。タイトルは『ブエノスアイレスのマリアMaria de Buenos Aires』とあった。まぎれもなく、この作品の演奏会用ヴァージョンが流れていたのを確認した。≪わたしは常日頃から、「自分はピアソラに恋しているのだ」と言ってきた。しかし『ブエノスアイレスのマリア』のあと、わたしはこれが本当の愛になったのを感じている。≫(解説書より)とまで賞賛している。もちろんそれを裏付けるかのような素晴らしい泣きの入ったクレーメルのヴァイオリンがタンゴ・ヴァイオリン以上の洗練のパフォーマンスでタンゴへの愛を歌っている。それにしてもどうしてタンゴなのか?ここにはたんに、お互いの才能を認め合うピアソラとの親密な交友関係以上のものがありはしないだろうか。≪ピアソラの音楽には無数の音楽的感情が詰め込まれているが、その感情世界は必ずしもタンゴの枠のなかだけに限られたものではない。それはわたしにとっては、たイメージ 3だただ偉大な音楽なのである。≫(同上)とまでクレーメルは語っている。まさしく「自分はピアソラに恋しているのだ」という事なのだろう。タンゴ演奏と歌というより語りとの“タンゴオペリータ”のタイトル<ブエノスアイレスのマリア>とは、ブエノスアイレスでのタンゴの生誕からその流行り廃りの変遷を、マリアという女性の波乱の禍福の人生に擬し、その生き様、歴史を象徴するとしてつけられた由。それにしても泣かせます。タンゴ、いやピアソラのタンゴに恋憑かれたような、ギドン・クレーメルのヴァイオリンには。


Tango "To ostatnia niedziela" - (5/5) Gidon Kremer !