yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

高橋悠治の『パーセル最後の曲集』(1974)。時を隔てた彼方よりの郷愁的な呼びかけの響き、静やかな愁いと魂鎮めのパフォーマンス。

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Henry Purcell - Suite No.2 in G minor:Saraband:arranged and played on keyboards by yuji takahashi

           

高橋悠治
イメージ 2国会突入で東大女学生の死を結果するに至る60年安保闘争を主導した共産主義者同盟(ブント)の政治経済分析の理論的主導者だった経済学者の青木昌彦(1938 - )。この比較制度分析での業績などで日本人初のノーベル経済学賞に最も近いといわれている経済学者が、あのロカビリーで名を馳せた作曲家・平尾昌晃と中学時代の同級生であり、それに一級下の後輩に、現代音楽作曲家でピアノ演奏家の、切れ者・拗ね者の高橋悠治がいたとの話を知ったのは初めてだった。たんなる先輩後輩だけの間柄以上に、知的刺激を、とりわけ文学、思想、音楽のアヴァンギャルドを中学の一年後輩のこの“天イメージ 3才”から大いに受けたとの記述が現在連載中の日本経済新聞私の履歴書』に見えた。またマルクス主義から現象学的(世界)存在論へと向い事的世界四肢構造論をひっさげ独創的存在論哲学を展開し、惜しくも志半ばで世を去った哲学者・広松渉(1933 - 1994)≪1946年、中学1年生の時に日本青年共産同盟に加盟。 1949年4月、高校進学と同時に日本共産党に入党する。1950年の50年分裂では国際派に所属し、 1951年に国際派の「全国統一会議」が解散した後は、党に戻らず全日本学生自治会総連合全学連)などで活動。高校中退、大検で東京大学に入学をする。≫(WIKIPEDIA)との学生運動(ブント)を通じての大学での出会いなども回想されており、ひじょうに興味深い連載となっている。ところで今日のブログ稿は、音楽ブログがメインということもあり、この興味深い経済学者・青木昌彦に関してではなく、彼に知的刺激を与えたという早熟の“天才”高橋悠治のアルバム『パーセル最後の曲集』(1974)をとりあげる。これはイギリスの作曲家ヘンリー・パーセルHenry Purcell(1659?-1695)の「組曲第2番ト短調」を素材として高橋悠治一人がクラヴィコードチェンバロ、ピアノ、チェレスタ電気ピアノ、電子オルガンの演奏したものをまとめ、変形を加えての作品としたもの。歴史の時を隔てた彼方よりの郷愁的な呼びかけの響きの趣をもった魂鎮めのパフォーマンスと言えようか。現代音楽のフィルターを通しての尊崇敬愛のヘンリー・パーセルといったところだろうか。しかしそこに通奏しているのは静やかな愁いとも聴こえる。

≪不運ニモ、国王陛下ノ王室礼拝堂おるがん奏者へんりー・ぱーせる氏ハ夭折ノタメ、自ラノ手デコレラノれっすんヲ仕上ゲル時ヲ持タナカッタ。以後殆ド三世紀ニワタリ、ソレラワカレノ熱ニウカサレタ最後ノ夢ノ中ニ、未完ノママ留マッタカニ見エタ。今日初メテ、我等ハコレラノ曲目ヲ聴クノヨロコビヲ持ツ。遥カナル東方ヨリ無名者ノ手ニヨリモタラサレタルハ、大英帝国ノ最モ優レタ楽人ノ一人ニカカル永ク秘メラレタ至宝ナラザルベカラズ。≫(高橋悠治


Henry Purcell: suite No.2 playd by deity on harpsichord and organ Gustav Leonhardt.

   


備忘録として――