yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

エリオット・カーター『ブラス・クインテット』(1974)の≪綾なす音の彩り≫その≪色艶≫に≪ヨーロッパ的精神の横溢する知的柔軟、構成の確かさ≫を聴く。

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Elliott Carter: Enchanted Preludes

       

イメージ 2先日たまたま聴いていたNHK・FMの「現代の音楽」で98才今なお現役で作曲活動をしていると言うアメリカの傑出した現代音楽作曲家エリオット・カーター Carter(1908年12月11日 - )を取り上げていた。タイトルは≪ - 作曲・この半世紀の潮流 エリオット・カーター -≫と言うものであった。進行担当の作曲家・西村朗も大いに賛辞を贈っていた。私もこのエリオット・カーターは、ヨーロッパの作曲家といってもおかしくないほどに、そのセンスにおいて伝統的知性と教養をもっためずらしいアメリカの作曲家として唯一まともに聞いてきた作曲家であった。事実3年ほどに亘りヨーロッパに留学、かの、多くの逸材を輩出した名教師と言われているナディア・ブーランジェNadia Boulanger(1887 - 1979)のもとで研鑽を積んでいる。こうした経歴からも、そのヨーロッパ的素養の醸成が進んだことは想像に難くない。それに長年にわたる教師生活からする古典への学識、造詣も深いものがあり、そうしたことの背景から作品には≪ヨーロッパ的精神の横溢する知的柔軟、構成の確かさ≫を感じさせ、まさに≪綾なす音の彩りと多層的な音の煌き流動の生き生きとしたさま、これは新大陸アメリカではない!?≫とまで口を突いてでてくるほどの見事さである。さて今日取り上げるアルバムは、その当のエリオット・カーターの『ブラス・クインテットBrass Quintet』(1974)と『Eight Pieces for Four Timpani(one player)』(1966)の風変わりな2作品。どちらも初録音との由。『ブラス・クインテット』の作品も≪綾なす音の彩り≫その≪色艶≫にはやはり聴かせるものはある。ティンパニィの方は私には手の負えない作品でコメントは留保することにしよう。アメリカ大陸のネイティヴへの思いがこうした打楽器ティンパニィのソロ作品の背後にあるのだろうか。



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