yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

酒井雄哉・大阿闍梨(だいあじゃり)。難<行>苦<行>しての<悟り>。

般若心経

           

イメージ 1千日回峰行は、十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から選ばれたものだけに許される行である。行者は途中で行を続けられなくなったときは自害する決まりで、そのために首をつるための紐と短刀を常時携行する。頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどった笠をかぶり、白装束をまとい、草鞋ばきといういでたちである。回峰行は七年間にわたる行である。≫(WIKI)この行では距離でいうと地球1周分を歩くことになるそうだけれど。このまさに難行苦行千日回峰行を2度成し遂げた大阿闍梨(だいあじゃり)・酒井雄哉(さかい ゆうさい 大正15年(1926年)9月 - )さん81才の興味深いインタビュー記事がだいぶ前だけれど目にとまったのだった。以下は、その順不同の抜粋引用だ。


イメージ 2≪いつも言ってるんだよ。おれ死んだらお葬式いらねえからって。ちょっと出かけて来ますわって、そういうのがええわな

 ――修行中は、無の境地?
 そんなことあらへんよ。阪神タイガースファンだからな、今日勝ったかななんて思って歩いたことあるよ。こりゃ、仏さんに悪いことしたって、一生懸命ざんげして、拝んで。そんなことの繰り返しで、ハハハ。

 ――9日間の不眠不臥(が)の「堂入り」は特に過酷だとか
 4日目くらいから死斑が出てきて、魚のくさったようなにおいがしてきてな。死臭だな。やらないと分かんないもんだな。元の体に戻すには27日は養生せよと伝えられている。何事も元に戻すには3倍の時間がかかるんだな。
 生死のふちを感じてみると、なんと尊いものをいただいているかと思うよ。だから、簡単に命を殺すようなことを決してしてはいけないんだよな。

千日回峰をやって何かいいことがありましたかと問うと、「何にもない。でも、おかげさんで、今があります」と話しておられたのが印象的だ。

 ――二度の千日回峰行を経て何を得ましたか
 何にもないんだよ、結局。みんなが思っているような大変なもんじゃない。何も変わらず、今もずーっと毎日歩いているしな。比叡山での回峰行というものでもって、大げさに評価されちゃってるんだよ。

 戦後、(東京の)荻窪の駅前でラーメン屋をやってたことあるんだ。今でも材料あったらチャッチャッチャって作っちゃうよ。同じだよ。朝起きて、仕込んで、材料買いに行って、お昼にお店開けて、夜中に店閉めて、寝て、6時ごろに仕込みして。くるくるくるくる……。もしここに屋台あったらラーメン屋のおやじだな、ハハハ。形は違うけどやってることは同じなんだよ。

 ――行は形じゃない、と
 みんなさ、背伸びしたくなるの、ねえ。自分の力以上のことを見せようと思ってええかっこしようとするじゃない、だからちょっと足元すくわれただけでもスコーンといっちゃう。
 無理しなくていいんだよ。無理っていうのは、自分にとって、理に通らないようなこと。それならやんない方がいいんだな。ぼくなんか、それをはずしながら、肩すかししながらやってきたから、長持ちしてんじゃないの。無理せず、ひがまず、焦らず、慌てず。水の流れのごとく生きる。溜(た)まりに入ってもあわてることないよ。よどみも徐々に解かれていくから。

以上のようだ。どうだろうか。いわば悟りを開いたと目される苦行僧、≪修行僧たちの規律を指導し、教義を伝授する高僧≫(WIKI大阿闍梨のことばなのだ。

これを読んでいて先ず思い出したのが、不治の病に伏し起居することかなわず「いくたびも雪の深さをたずねけり」と詠い≪はや<無常迅速>としてその生を病の絶望のうちに足早に生きた正岡子規の覚識とでもいえることばだった。

≪「余は今まで禅宗のいはゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事はいかなる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違ひで、悟りという事はいかなる場合でも平気で生きることであった。」≫

それに酒井師の≪無理しなくていいんだよ。・・・それをはずしながら、肩すかししながらやってきたから、長持ちしてんじゃないの。・・・≫ということばに思い出したのが作家・石川淳の、「壁があったら、何もぶつかることは無い、そこで曲がればよい」(安部公房「壁」への序文)ということばだった。学生時代、このことばにはいたく感心した覚えがある。

またこんなことばもあったのを思い出した。

≪ケージ――しかし、 鈴木(大拙)がいっているのは、自己を一度も閉じないで解放させるのが禅の方法だという
ことです。それによって全創造がその人の中に流れる。私はこの講義の内容を貴重に思って、内側に向かう座禅をしたり無我夢中になったりすることよりも、チャンス・オペレーションズを通して外に向かうことにした。自己管理よりも外に放ったほうがいいのです。だから私は、芸術を自己表現ではなく自己変革と考える。いずれにしても、完全にまわりきって円になればいいのです。

松岡―――完全円というより、ちょっと隙間のある円のほうがいいですね。

ケージ――おっ、それはいい着眼です。ある禅僧が言いました、「悟りを開いた現在、依然と同様に惨めである」。

松岡―――それは禅にたくさん出てくる境地ですね。「いつも同じ」という……。

ケージ――そうです。

松岡正剛 『 間と世界劇場 』 より)≫




≪★―例えば、暑いとき、「暑いな」と思う。風が吹いたりしている時、言葉にしないで、ふと何かに触れたと思えることがある。

▲―例えば「無を感じる」という形でね。

★―自然とはむしろ、その「無」に近い。本当の自然は、むしろ知覚の対象になっていないわけです。だからこそ、僕は、「忘れもの」とか「気配」を重視した。しかし、仏教全体とは言わないけれど、密教に感じているのはそれではない。密教は人工性への努力のようにも思える。密教大自然をその一部において一挙に獲得するでしょう。部分から全体を導く。しかし、日常、そんな密教などに携わらない人達が感じていて、言葉になり切らないもの、つまり密教の言う不立文字は、密教にはなくて、巷にあるのではないか。衆生の持っているものが自然で覚者の持っているものが、人工的自然なのです。「人工」という言葉が誤解を招きやすいので、これを「抽象自然」と言っておきます。

▲―意味は大体わかりました。続けてください。

★―八百屋の親爺さんが、論理ではなくて、風が吹く体験から得たものこそが素晴らしいと僕は思っている。そこには「行」はない。体験のみです。これに対して密教は、最高の論理への到達を目指す。鮮明で最高の論理を使っている。けれども、この両者の行き着く果ては同じでしょう。僕はただ、そこに「自然」の安売りが語られすぎていることに非二十世紀的なものを感じている。

・・・・・

▲―人間は目的を持っているのか、いないのか。それから、いわゆる目的は方向を持っているのか。生きる目的はあるのか。その目的への途中で、人工化がおこる。そういうものがあるのでしょうか。

★―ないですね。

▲―無目的で……。

★―そうです。目的があるなら、当然、自覚はないでしょう。「先の先」ができていれば自覚は不必要です。だから、感覚そのものが自然であって、目的はない。つまり、人工とは、閉じるものである。「過未無体」と華厳で言います。それは、過去と未来のない境地という意味です。そして、過去も未来もある人工的な論理を駆使して、「過未無体」という寂浄の境地に突進する。だから、論理を一度使ってすぐ消費して無くすという、この抽象の極地がヒンドゥイズムやブッディズムではないですか。

ことさらに<行>を行なうことなく、無は気配として、そこはかとなくおとずれてくる。万人にそれはあちらからそこにやってくる。Here and There そのままからこのままへ。<信>としてやってくる。

まさに≪言葉になり切らないもの、つまり密教の言う不立文字は、密教にはなくて、巷にあるのではないか。衆生の持っているものが自然で覚者の持っているものが、人工的自然なのです。「人工」という言葉が誤解を招きやすいので、これを「抽象自然」と言っておきます。≫

    ★――松岡正剛
    ▲――津島秀彦

津島秀彦(松岡正剛共著『二十一世紀精神』工作舎・1975)


イメージ 3私には、苦行、悟りと僧の話になると思い出されるのに井上靖の「補陀落(ふだらく)渡海記」(1961)という小説が思い出される。海の彼方にあると信仰される西方浄土補陀落(ふだらく)への、二度と生きて帰れぬ船での渡海殉教の滑稽とも悲劇ともいえる物語だ。渡海殉教<行>のため、沖へ流された船上の暗く閉ざされた密室から死の恐怖に耐え切れず力のあらん限りの脱出を試みはするが、心神耗弱岸に流れ着くなり、またもや渡海完遂のため沖へと有無なく人々に押し出されるのだった。もの哀しくも滑稽な印象がしたものだった。所詮こんなものかもしれないと・・・。


軟弱な凡俗のわたしには難<行>苦<行>とか、それの遂行による<悟り>とか、をいまだもって信じることができないのだが・・・。それらを別に否定しようとは毛頭思わないけれど。