yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ 『冬の旅』。もうすっかり、桜さく春ですが、「神に近い存在」(シュヴァルツコップ)と賛された極め付きの歌唱表現を鑑賞する。

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Fischer-Dieskau sings Gute Nacht

            

イメージ 2「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」とは松尾芭蕉のあまりにも有名な辞世の句だった。それにしても歩みせし来し方は、枯野か?人の一生は出会いと別れの織りなす儚い旅に譬えられるということをも示しているのだろうけれど。なにげなくネットをながめていて、≪島崎藤村が「旅じゃありませんか、誰だって人間の生涯は」と言えば、ゲーテは「僕はどうやらこの世における一個の旅人にすぎないようだ」と言っている。≫という言葉に出くわした。どうやらこうした思いは普遍的なことのようだ。シェイクスピアには≪「明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、つかの間の燈火、人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ。舞台の上ではおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう、白痴のしゃべる物語だ。わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない。」(『マクベス』から)≫といった痛烈な人生観照のことばがある。「又淋しくなった。こういったことはみんな実にのろくさくて、重苦しくて、やり切れない……やがておれも年をとる。そうしてやっとおしまいってわけだ。たくさんの人間がおれの部屋へやって来た。連中はいろんなことをしゃべった。たいしたことは言わなかった。みんな行っちまった。みんな年をとり、みじめでのろまになった、めいめいどっか世界の片隅で。」(ルイ・フェルディナンド・セリーヌなしくずしの死」)ま、そんなところだろう、たぶん・・・。しかしまた、≪人間の生涯には春夏秋冬があり、どんなに若年で生命を終えようとも、その短い生涯の間にはそれなりの春夏秋冬がある・・・≫とは吉田松陰の慈愛肯定のことばもあった。とま、取り留めのないことをつぶやきつつ、今日は、先日の明瞭な日本語発声と美声の歌唱で魅了してくれた森麻季の歌曲つながりで、≪多くの人が録音史上、最も傑出した歌手とみなしている。彼の演奏解釈と声質・声の陰影に富んだ音色の素晴らしさは大いに称えられており、同じ戦後ドイツの大歌手エリーザベト・シュヴァルツコップをして「神に近い存在」と言わしめた。≫(WIKI)その極め付きの歌曲(リート)作品と歌手ということで、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau, 1925 - )の『冬の旅』を投稿しよう。乱れ、揺らぐことのないこの歌唱表現の安定感は絶品だ。それにしても日本人にも親しみが持てるメロディーに満ちているシューベルトの歌曲集。詩訳わからずとも耳そばだて聴かせる歌曲も珍しい。メロディーメーカー、シューベルトの傑作たるゆえんなのだろう。