yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

桜の散るばかり

イメージ 1
奥村 土牛(おくむら とぎゅう、1889 - 1990)「醍醐」
山種美術館(奥村土牛「醍醐」「鳴門」)


    さ ま ざ ま の 事 お も ひ 出 す 桜 哉(かな)  芭蕉
     花は散りてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる  式子内親王

きょう、出勤途上出くわしたことごとくが花吹雪だった。雪と見まごうばかりに花びらがそこここを白く覆っていた。きのうの日曜日は絶好の花日和だったのに、ろくに一頁も読まないうちにホットカーペットの暖かさに誘われ本を枕に寝入ってしまい、とうとう花見の機会を失ってしまいメリハリのない日曜で終わってしまった。別にその所為でもないだろうけれど、音楽聴いても何のことばも口をついて出ず、ということで新聞を読んでいて目にとまったことばを拾い書き?してきょうの投稿を擱くことにしよう。記事からだから孫引きのようなものだけれど。


≪「私の個人的な経歴など存在しない。そこには中心がない。道もなければ、線もない。広漠とした空間があり、そこに誰かがいたような気がしたけれども、本当をいうと誰もいなかったのだ」≫(マルグリット・デュラス

これは文芸評論家の加藤典洋のエッセー文中のもの。<私>という存在の分からなさ。空虚感。

≪『世界に意味があるわけではない。また、不条理があるわけでもない。ただ、あるだけだ。』≫
とは先ほど亡くなったフランスの作家、アラン・ロブ=グリエAlain Robbe-Grillet、1922年8月18日 - 2008年2月18日)のことば。

≪「人間から悪を消去するなら、生の根本的な諸条件を破壊することになるだろう」≫(モンテーニュ

これは書評文中からの引用。

このモンテーニュのことばは重い。たぶんそうなのだろう。

ある凶悪事件に対し、どう思いますか?とマイクを突きつけられた通りがかりのフツーの人が、「人間が多すぎるんですよ」と言っていた。妙に感心した。なにせ一億二千万人だ。制御が効かなくて、とんでもない事態が起きても不思議じゃない。エントロピーは増大する。

≪「過剰な情報は、事実の決定不能性と精神の混乱を生みだす。」≫(ジャン・ボードリヤール

≪「哲学は、過去の悪にも未来の悪にも勝てるが、今の世の悪には負けてしまう」≫(ラ・ロシュフコー

まさに現実の解釈ではなく、実践をということだ。

≪『サア、もう一遍痛いというておみ』≫とは、病に臥し痛み苦しんで子規が死んだ直後、冷たくなった我が子、子規の額を撫でながら、長いあいだ看病していた母八重の言ったことば。

そしてこれは、日頃、先端遺伝子科学に思っていること。

≪「・・・場の情報がなければDNAなんて何にもならない。」≫(渡辺慧


  桜 / 河口恭吾