yuki-midorinomoriの日記

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ポーランドの名匠アンジェイ・ワイダの芸術と政治。その歴史。NHK・ETV特集「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを撮り続けた男」を観る。

Scorpions - Wind Of Change

          

イメージ 1先日の日曜日の夜10時からポーランドの映画監督、名匠アンジェイ・ワイダのドキュメンタリー番組が放映されていた。途中からの視聴だったけれど、こちとら、太平楽な世を謳歌していたときに、かの国ポーランドでは、その政治体制ゆえの検閲がおこなわれていたとは、少なからずの驚きだった。その検閲もさりながら、この世界は、一元的に時間は流れてなどいない事にだった。ドラスティックに東欧圏が民主化へと歩んだのはつい直近のことだったのだ。≪ポーランドでの民主化を模索する動きは先ず1981年に非合法化された「連帯」を合法化する所から始まった。さらに1989年の2月からはポーランド統一労働者党政権と「連帯」をはじめとする民主化勢力との間で話し合いが行われ、両者の間で自由選挙の実施をすることで合意がなされた。この合意は6月に実行に移された。東欧では先頭を切って自由選挙が実施され、ワレサ率いる「連帯」が圧勝した。新政権として民主化を求める非労働党勢力が主導権を握りつつも、労働党勢力を政権に取り入れる連立政権が発足し、ヤルゼルスキが暫定的な大統領に就任。首相以下閣僚に「連帯」などの非労働党勢力出身の人物を任命して、新生ポーランドがスタートした。
新政権は、ポーランド統一労働者党に極めて有利であった憲法を改正・ポーランド人民共和国からポーランド共和国へ国名を改正・国民の直接選挙による大統領選挙の導入などを決定。この結果を受けた1990年、国民の直接選挙によって選ばれた初めての大統領で「連帯」のワレサが当選。政権の完全委譲が果たされた。≫(WIKI)当時新聞その他のメディアで大きく報道されていたその変革の歴史的出来事からいまだ20年も経ってはいないのだ。東西冷戦対立の象徴であったベルリンの壁崩壊も1989年だったのだ。つい先ほどのことではないか。その事実をあらためて突きつけられ、太平楽なわが身を撃ったのだった。そのとき、わが世はバブル景気の真っ只中だったのだ。歴史の捻れ(時間の多元性)なんてこんなものといえばそうなんだろうが・・・。アアなんていい加減なことなのだろう。たぶんこのNHKの企画はワイダ監督の問題作、≪ポーランド人捕虜の大量殺害≫というカティンの森事件を扱った『カチンKatyń』(2007)の制作公開という話題性を背景にうちだされたものなのだろうけれど。