yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

即興演奏集団・MEVの創設メンバーの一人、リチャード・ティテルバウム『ヒウチイシ・HIUCHI-ISHI』(1977)。まことにシンプルで繊細を奏でる、いわば肉声としてのライヴ・シンセサイザー。

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イメージ 2まことにシンプルなシンセサイザーだ。いわゆるプログレッシヴ・ロック、とりわけドイツに代表される、クラウスシュルツや、エドガーフローゼのタンジェリンドリームらの奏でる太くて分厚い響きのシンセサイザーをイメージすると肩すかしをくらう。
それほどに、対極的にシンプルであり、それは、きょう登場するシンセサイザー奏者であり作曲家のリチャード・タイテルバウムRichard Teitelbaum(1939 - )謂うところの、まさしく<もっとも原始的な楽器>にふさわしい扱いであり、音色なのだ。ライヴ・エレクトロニクスパフォーマンスだからというわけでもないだろうけれど。
こうした、主流を、あたりまえを、忌避した音づかい、もっとも始原的な地平でのエレクトロニクスとの付き合い方にあえて拘泥するのも、一つの見識ではあるといえるのかも。
電子音響、シンセサイザーをオーケストラのごとく使うのではなく、まったく正反対の、シンプルさに極限化された付き合い方は、内省的でもあり不思議とこうしたコンボではイマジネイティヴなコレスポンダンスをユニットにもたらすようなのだ。
このことは、以前、拙ブログで≪即興演奏集団・MEV(MUSICA ELETTRONICA VIVA)創設メンバーの一人、ライヴ・シンセサイザー奏者のリチャード・ティテルバウムとアンソニー・ブラクストンのデュオアルバム。≫とタイトルして取り上げた時にも≪草創期からのシンセの音色に魅入られた奏者とのデュオは、ブラクストンにとってもさぞかし新鮮で,インスパイアされたことと思われる。≫と記したごとくに、人に優しく対話、交感をもたらす<もっとも原始的な楽器>として、そのシンセサイザーのシンプルさに徹してのエレクトロニクスに託すものがあったのだろうと思われる。
壮大なハーモニーや、天空とどろかすごくふつうのシンセ音とはまったく無縁の、正反対のシンプルさで押し通すのだ。
じっさいに、≪タイテルバウムは、エレクトロニクス・サウンドで最も困難なのは、いかに小さな動きをつくり出し、デリケイトでソフトなサウンドを生み出すかと云うことだ≫と述べ、つまりは、アコースティックな楽器を十全に習得するかのごとくの鍛錬を行っているそうである。繊細を奏でるということを眼目にするということのようだ。いわば肉声としてのシンセサイザー
このアルバム『ヒウチイシ・HIUCHI-ISHI』(1977)ではそうしたパフォーマンスがB面ですばらしく行われている。



収録曲――
A. H.M.の思い出に IN MEMORIAM ; H.M.
B.キング・ウィリアムズ・タウン~スティーヴン・ビコーの思い出にKING WILLIAM`S TOWN – in memory of Steven Biko

パーソネル――
リチャード・タイテルバウム(syn)
富樫雅彦perc
加古隆(p,perc
中川昌三(as,fl)