『日本の囃子~能楽囃子』。能とは、能音楽とはこの声、掛け声ではないのか。イヨー、イヤー、オー、ハッ、ホッ・・・。
≪日本の音楽の中でももっとも高尚な、洗練された芸能であるこの能楽の音階が、一方日本の音楽の中で、一番プリミティブで幼稚な音楽構造をもっていると考えられるわらべうたなどと、ほとんど同じような構造をもっているのです。こういうと驚く方もいるかもしれませんが、しかし実際に、能は基本的な性格として、わらべうたや一番簡単な民謡と同じような骨組みを持っているのです。ただ、それをさらに芸術的表現に高めるような使い方をしたり、こまかな装飾をつけたり、さらには全体の音の高さ、ピッチを次第に高めたり、急激に低めたりするような特殊な技法を使いますので、全体には何かつかみどころのないような、むずかしい音楽のように聞こえるだけです。形そのものはきわめて単純で、「かごめかごめ」とか「とうりゃんせ」といったわらべうたの中で使われている音の動き方の基本的パターンとほとんど同じです。≫(小泉文夫「日本の音」能・狂言より)
つい先日、≪時代劇などには必ずといっていいほどに聞こえてくる篠笛や、とりわけ能の舞での、無明の闇 を切り裂き、「イヨー」「イヤー」と剛直な居合いの掛け声ともどもに鳴らされる鼓と能管の渺渺韻なる響きは、曰くいいがたい<覚悟>・「悟る事」をせまる。まことに世界に冠たる、奇体かつ稀な響きの世界をわが風土につくりあげてきたといえる。するどい掛け声の一閃と≪硬い音色で、鋭く激しく、多少は雑音的な要素も含んだ複雑な音≫(解説・竹内道敬)などなど、能の笛と鼓と掛け声の独特の世界は未だもって私には不可思議である。あのような音の世界を現出せしめ得た精神こそ最大の神秘の一つであるとズーッとそう思ってきた。「イヨー」「イヤー」とのあの掛け声は一体何か?能管の切り裂くがごとき、するどく激しい音色。空間を引き締め緊張を迫る鼓の一閃。その手の本など齧っても、こうした<音>の根源、肝心かなめがわからない。≫と横笛、篠笛鑑賞を投稿記事とした。きょうは、その続編といった意味合いもあるのだけれど、『日本の囃子~能楽囃子』を図書館よりネット借受し聴いてみた。そう、能楽囃子の鑑賞もあるのだけれど、それに加えて、先に云った能囃子のなかでの、掛け合いをもって聞かせるあの不思議の掛け声の秘密を聴きたくて借りたのだった。たんに間合いを取るだけの居合い、掛け声でもなさそうなのだが、いつ聴いても、一体これはなんなのか?の不思議が消えない。この掛け声の掛け合いが玄妙な世界をつくり出すのだから・・・。この掛け声(やりとり)で世界をつくりあげる形式の成り立ちの背後には何があるのだろう。極端なはなし、能とは、能音楽とはこの声、掛け声ではないのかと、弩シロウトには言い募りたくなるのだ。もちろん能囃子の独特はいうまでもないのだけれど。それにしてもだ、この<声>・・・。いちいち呼び交わすが如き居合いの掛け声とともに楽器を打ち鳴らさなければならないのだろうか。たしかに、その掛け声がなければ、引き締まることもなくシマラナイことこのうえないだろうが。イヨー、イヤー、オー、ハッ、ホッ・・・。
『日本の囃子~能楽囃子』
1. 獅子「石橋」より
2. お調べ
3. 三番叟:揉の段~鈴の段
4. 序の舞(太鼓入り)
5. 中の舞(太鼓入り)
6. 早舞
7. 下の高音
8. 神楽
2. お調べ
3. 三番叟:揉の段~鈴の段
4. 序の舞(太鼓入り)
5. 中の舞(太鼓入り)
6. 早舞
7. 下の高音
8. 神楽
参考――
http://www.sense-nohgaku.com/noh/index.php 『能の誘い(いざない)』
Kyoto Kashu-Juku - Noh Performance