yuki-midorinomoriの日記

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「ちいちゃんのかげおくり」。

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8月2日(土)の朝日新聞朝刊に、≪「ブラジル移民紙芝居に涙」≫とタイトルされた記事があり、目にとまった。8月になると、やはり戦渦での記事が取り上げられるようだ。それは≪空襲で家族とはぐれた女の子が焼け跡で母の帰りを待ちながら死んでいく物語「ちいちゃんのかげおくり」(あまんきみこ作、上野紀子絵、あかね書房)の紙芝居≫で、この作品に感動した主婦二人の紙芝居仕立てのボランティア活動での事とあった。恥ずかしながら私は、この教科書(小3国語だそうだ)にも掲載されているという絵本(物語)の存在をこの記事で初めて知った。連れ合いに聞いたところ、何をいまさらと言うような顔で、「はだしのゲン」や「ちいちゃんのかげおくり」など、うちの子も小学校のときに読んでるわ、とにべもなく云われてしまった。ということで、ネット検索してみたらありがたいことに、その「ちいちゃんのかげおくり」の教科書掲載文を読むことができた。コメントなどは差し控え、そのヒットしたネットページから勝手ながらその教科書に掲載されている「ちいちゃんのかげおくり」を以下に引用させていただこう。(じっさいに手にして読もうと図書館へ向かったが、やはり!?貸し出し中だった。子供たちの手隙を待って借りるとしようか)



『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ作)

 「かげおくり」って遊びをちいちゃんに教えてくれたのは、お父さんでした。
 出征する前の日、お父さんは、ちいちゃん、お兄ちゃん、お母さんを連れて、先祖の墓参りに行きました。その帰り道、青い空を見上げたお父さんが、つぶやきました。
 「かげおくりのよく出来そうな空だなぁ。」
 「えっ、かげおくり。」
とおにいちゃんが聞き返しました。
 「かげおくりって、なあに。」
と、ちいちゃんも尋ねました。
 「十(とお)、数える間、影法師をジッと見つめるのさ。 十、と言ったら、空を見上げる。すると、影法師がそっくり空に映って見える。」
と、お父さんが説明しました。
 「父さんや母さんが子供のときに、よく遊んだものさ。」
 「ね。今、みんなでやってみましょうよ。」
と、お母さんが横から言いました。
 ちいちゃんとお兄ちゃんを中にして、四人は手を繋ぎました。そして、みんなで、影法師に目を落としました。
 「まばたきしちゃ、だめよ。」
と、お母さんが注意しました。
 「まばたきしないよ。」
ちいちゃんとお兄ちゃんが、約束しました。
 「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」
と、お父さんが数え出しました。
 「ようっつ、いつうつ、むうっつ。」
と、お母さんの声も重なりました。
 「ななあつ、やあっつ、ここのつう。」
ちいちゃんとお兄ちゃんも、一緒に数え出しました。
 「とお。」
 目の動きと一緒に、白い四つの影法師が、すうっと空に上がりました。
 「すごうい。」
と、お兄ちゃんが言いました。
 「すごうい。」
と、ちいちゃんも言いました。
 「今日の記念写真だなあ。」
と、お父さんが言いました。
 「大きな記念写真だこと。」
と、お母さんが言いました。
 次の日、お父さんは、白いたすきを肩から斜めに掛け、日の丸の旗に送られて、列車に乗りました。
 「体の弱いお父さんまで、いくさにいかなければならないなんて。」
お母さんがぽつんと言ったのが、ちいちゃんの耳には聞こえました。
 ちいちゃんとお兄ちゃんは、かげおくりをして遊ぶようになりました。ばんざいをしたかげおくり、片手を上げたかげおくり。足を開いたかげおくり。色々な影を空に送りました。
 けれど、いくさが激しくなって、かげおくりなど出来なくなりました。この町にも、焼夷弾や爆弾を積んだ飛行機が飛んでくるようになりました。そうです。広い空は、楽しい所ではなく、とても怖い所に変わりました。

 夏の初めのある夜、空襲警報のサイレンで、ちいちゃんたちは目が覚めました。
 「さあ、いそいで。」
お母さんの声。
 外に出ると、もう、赤い火が、あちこちに上がっていました。
 お母さんは、ちいちゃんとお兄ちゃんを両手に繋いで、走りました。
 風の強い日でした。
 「こっちに火が回るぞ。」
 「川の方に逃げるんだ。」
誰かが叫んでいます。
 風が熱くなってきました。炎の渦が追いかけてきます。お母さんは、ちいちゃんを抱き上げて走りました。
 「お兄ちゃん、はぐれちゃだめよ。」
 お兄ちゃんが転びました。足から血が出ています。ひどい怪我です。お母さんは、お兄ちゃんをおんぶしました。
 「さあ、ちいちゃん、母さんとしっかり走るのよ。」
 けれど、たくさんの人に追い抜かれたり、ぶつかったり―――――  ちいちゃんは、お母さんとはぐれました。
 「お母ちゃん、お母ちゃん。」
ちいちゃんは叫びました。
 その時、知らないおじいさんが言いました。
 「お母ちゃんは、後から来るよ。」 
 そのおじいさんは、ちいちゃんを抱いて走ってくれました。
 暗い橋の下に、たくさんの人が集まっていました。ちいちゃんの目に、お母さんらしい人が見えました。
 「お母ちゃん。」
と、ちいちゃんが叫ぶと、おじいさんは、
 「見つかったかい、良かった、良かった。」と下ろしてくれました。
 でも、その人は、お母さんではありませんでした。
 ちいちゃんは、独りぼっちになりました。ちいちゃんは、たくさんの人たちの中で眠りました。

 朝になりました。町の様子は、すっかり変わっています。あちこち、煙が残っています。どこが家なのか―――――。
 「ちいちゃんじゃないの。」
と言う声。振り向くと、はす向かいのうちのおばさんが立っています。
 「お母ちゃんは。お兄ちゃんは。」
と、おばさんが尋ねました。ちいちゃんは、泣くのをやっとこらえて言いました。
 「おうちのとこ。」
 「そう、おうちに戻っているのね。おばちゃん、今から帰るところよ。一緒に行きましょうか。」
おばさんは、ちいちゃんの手を繋いでくれました。二人は歩き出しました。
 家は、焼け落ちてなくなっていました。
 「ここがお兄ちゃんとあたしの部屋。」
ちいちゃんがしゃがんでいると、おばさんがやって来て言いました。
 「お母さんたち、ここに帰ってくるの。」
ちいちゃんは、深くうなずきました。
 「じゃあ、大丈夫ね。あのね、おばちゃんは、今から、おばちゃんのお父さんの家に行くからね。」
 ちいちゃんは、また深くうなずきました。
 その夜、ちいちゃんは、雑嚢の中にいれてあるほしいいを、少し食べました。そして、壊れかかった暗い防空壕の中で、眠りました。
 「お母ちゃんとお兄ちゃんは、きっと帰ってくるよ。」
 曇った朝が来て、昼が過ぎ、また、暗い夜が来ました。ちいちゃんは、雑嚢の中のほしいいを、また少しかじりました。そして、壊れかかった防空壕の中で眠りました。

 明るい光が顔に当たって、目が覚めました。
 「まぶしいな。」
 ちいちゃんは、暑いような寒いような気がしました。ひどく喉が渇いています。いつの間にか、太陽は、高く上がっていました。
 その時、
 「かげおくりのよく出来そうな空だなあ。」
と言うお父さんの声が、青い空から降ってきました。
 「ね。今、みんなでやって見ましょうよ。」
と言うお母さんの声も、青い空から降ってきました。
 ちいちゃんは、ふらふらする足を踏みしめて立ち上がると、たった一つの影法師を見つめながら、数え出しました。
 「ひとうつ、ふたあつ、みいっつ。」
いつの間にか、お父さんの低い声が、重なって聞こえ出しました。
 「ようっつ、いつうつ、むうっつ。」
お母さんの高い声も、それに重なって聞こえ出しました。
 「ななあつ、やあっつ、ここのつう。」
お兄ちゃんの笑いそうな声も、重なってきました。
 「とお。」
ちいちゃんが空を見上げると、青い空に、くっきりと白い影が四つ。
 「お父ちゃん。」
ちいちゃんは呼びました。
 「お母ちゃん、お兄ちゃん。」
 その時、体がすうっと透き通って、空に吸い込まれて行くのが分かりました。
 一面の空の色。ちいちゃんは、空色の花畑の中に立っていました。見回しても、見回しても、花畑。
 「きっと、ここ、空の上よ。」
と、ちいちゃんは思いました。
 「ああ、あたし、お腹が空いて軽くなったから、浮いたのね。」
 その時、向こうから、お父さんとお母さんとお兄ちゃんが、笑いながら歩いてくるのが見えました。
 「なあんだ。みんな、こんな所にいたから、来なかったのね。」
ちいちゃんは、きらきら笑い出しました。笑いながら、花畑の中を走り出しました。
 夏の初めのある朝、こして、小さな女の子の命が、空に消えました。

 それから何十年。町には、前よりも一杯家が建っています。ちいちゃんが一人でかげおくりをした所は、小さな公園になっています。
 青い空の下、今日も、お兄ちゃんやちいちゃんぐらいの子供たちが、きらきら笑い声を上げて、遊んでいます。


私はこれを読んで、一瞬、ドストエフスキーの小品を思い出したのだった。それはこのこと以前にも、今まで気にはなっていながらも、どの作品にあったのか思い出せず、それはあたかも見つからぬ探し物を確証なく、あてどなくさがす時にでくわす、あの中途半端で心落ち着かない、座りの悪い気分でありつづけた探し物だった。それが、この「ちいちゃんのかげおくり」の作品ネット検索の時にたまたま出合ったのだった。まさに胸の痞(つか)えがおりたのだった。≪クリスマスの夜、餓死(凍死)しなければならなかった少年≫の物語でタイトルは「キリストのヨルカに召された子どものはなし」。・・・そうだったのだ。ドストエフスキー「作家の日記」(河出書房新社全集版・上巻)に確かにあった。じつに30数年ぶりの再会だった。この物語のことは、またの機会にするとしても、しかし「ちいちゃんのかげおくり」が探し物へと私を招いてくれたのだった。どちらも話しは哀切である。