NHKテレビ俳句『波郷・夫婦愛』。新日曜美術館『写実の果て 孤高の画家・高島野十郎』をみる。
石田波郷
きのう日曜日は、朝から立てつづけにテレビに釘付けになってしまった。まずは、NHK俳句・特集「波郷・夫婦愛」。これには泣きました。私事で(ブログ自体がそうなのですが・・・)どうでもいい事ですがこの俳人・石田波郷は、わが父親、母親と同じ大正二年生まれとか。時代が重なってきます。それだけに、わが親(世代)の生活とオーバーラップしウルウルときたのでした。闘病(結核)を半生とする俳句人生、よき人となりゆえはさらなり、その才能へのリスペクトもあっただろう、病に伏す夫を長きに亘り支える妻・あき子。心労ゆえに自らも病を得て斃れ追うように、夫・俳人の命日に死へと旅立つ。「このままの晩年でよし蝸牛」と詠んだ妻・あき子。ここには自分を納得させる透き通った諦念がありはしないか。ひそかに作句をしていたその献身の妻の句集『見舞籠』出版へと、俳人人生最後の命を刻み込む「夫婦愛」は胸をうつ。身を捧げるにたる才能と人性とともに歩む人生、夫婦愛。いいもの見せていただきました。と、ここまで来て稿中断、さて晩酌しながらの食事中にテレビニュースから<福田首相辞任>のニュースが飛び込んできた。安倍前首相につぎ、またしても政権放棄か!無責任なとばかりにニュースに見入り時間を費ってしまった。ということで、もうひとつの、写実を究めんと名利を捨て脱俗孤高の画家人生を生涯一人身で自給自足の人里はなれた茅葺小屋に送り、生前認められることなく、特別養護老人ホームにて85才の人生を閉じた高島野十郎のNHK特集番組・新日曜美術館「写実の果て 孤高の画家・高島野十郎」を取り上げる機会、時間を失くしてしまった。またの機会としつつも、この画家の生き様を端的に詠って?いると思われる
野十郎の遺偈(ゆいげ)および辞世の歌を載せてこの稿を擱くこととしよう。
きのう日曜日は、朝から立てつづけにテレビに釘付けになってしまった。まずは、NHK俳句・特集「波郷・夫婦愛」。これには泣きました。私事で(ブログ自体がそうなのですが・・・)どうでもいい事ですがこの俳人・石田波郷は、わが父親、母親と同じ大正二年生まれとか。時代が重なってきます。それだけに、わが親(世代)の生活とオーバーラップしウルウルときたのでした。闘病(結核)を半生とする俳句人生、よき人となりゆえはさらなり、その才能へのリスペクトもあっただろう、病に伏す夫を長きに亘り支える妻・あき子。心労ゆえに自らも病を得て斃れ追うように、夫・俳人の命日に死へと旅立つ。「このままの晩年でよし蝸牛」と詠んだ妻・あき子。ここには自分を納得させる透き通った諦念がありはしないか。ひそかに作句をしていたその献身の妻の句集『見舞籠』出版へと、俳人人生最後の命を刻み込む「夫婦愛」は胸をうつ。身を捧げるにたる才能と人性とともに歩む人生、夫婦愛。いいもの見せていただきました。と、ここまで来て稿中断、さて晩酌しながらの食事中にテレビニュースから<福田首相辞任>のニュースが飛び込んできた。安倍前首相につぎ、またしても政権放棄か!無責任なとばかりにニュースに見入り時間を費ってしまった。ということで、もうひとつの、写実を究めんと名利を捨て脱俗孤高の画家人生を生涯一人身で自給自足の人里はなれた茅葺小屋に送り、生前認められることなく、特別養護老人ホームにて85才の人生を閉じた高島野十郎のNHK特集番組・新日曜美術館「写実の果て 孤高の画家・高島野十郎」を取り上げる機会、時間を失くしてしまった。またの機会としつつも、この画家の生き様を端的に詠って?いると思われる
野十郎の遺偈(ゆいげ)および辞世の歌を載せてこの稿を擱くこととしよう。
「足音を立てず
靴跡を残さず
空気を動かさず
寺門を出る
さて
袖を拂ひ
裳をたゝひて
去り歩し行く
明々朗々遍無方」
靴跡を残さず
空気を動かさず
寺門を出る
さて
袖を拂ひ
裳をたゝひて
去り歩し行く
明々朗々遍無方」
「花も散り世はこともなくひたすらに
ただ赤々と陽は照りてあり」
ただ赤々と陽は照りてあり」
私の限りある尽きようとする命など一顧だにせず自然は無慈悲にも永遠の変わらぬ姿のままにある・・・。
「写実の極致、やるせない人間の息づき――それを慈悲という」(高島野十郎・遺稿ノートより)