yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ジョン・ケージ『ソナタとインタールード』(1946-48)。ジョン・ティルベリー演奏盤。やはりこの過剰さのないシンプルな、純朴ともいえる変わったピアノの音色には心鎮められる。

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James Tenney plays John Cage 1/sound. at the Schindler House

        

イメージ 2ジョン・ケージの『Sonata and Interludes』を投稿するのはこれで、3枚目となる。元来、聴き較べという趣味は持ち合わせていないのですが・・・。≪孤独で美しく、やさしくもの悲しげなジョン・ケージ『Sonata and Interludes』(1946-48)『A Book of Music』(1944)≫と≪初演者で献呈もされている、落ち着きと繊細渋ささえ感じさせるマーロ・アジェミアンのジョン・ケージ『Sonata and Interludes』世界初演盤≫とタイトルし各々投稿した。ところで、その3枚目である今日の盤の演奏者はイギリスのジョン・ティルベリーJohn Tilbury (born 1936)。この人物は即興演奏グループAMMで80年以降より活動していたピアニストのよし。ところで、今日このケージの作品を取り上げる気になったのは、朝出勤途上の車中で流れていたFM放送でプリペアード・ピアノ作品を耳にしたからだった。「ソナタとインタールード」ではなかったけれど、やはりこの過剰さのないシンプルな、純朴ともいえる変わったピアノの音色には心鎮められる。「私」という表現意識の削ぎ落とした、華麗も、過剰も、煌びやかさも無縁な、さやさやと飄々と鳴る音楽。未曾有の革命的コンセプト、偶然性、不確定性、自我の解消、人間という枠組みでの創造行為の放棄、コントロールされた矮小な人間意志よりの超脱。理性に縛られた感性からの自由と解放・・・。そうした革命前夜の心の孤独がシミジミと静やかに響き渡ってくるように聴こえてくるのだ。≪1946年2月から3年がかりで作曲された『ソナタとインタールード』は、ほぼ70分を要する大作である。アナンダ・K・コワラスラミの著作から見出したインドの美の伝統にある「九つの永遠の感情」すなわち、「勇気」「情欲」「驚歓」「悲哀」「不安」「怒り」「醜悪さ」それに「平静心」を音楽的に表現しようとした作品だとケージは述べている。・・・≫(解説・石田一志)。それにしても、よく言われることだけれど、ケージが発明したといわれている(技法を楽曲として取り入れ果敢したこのことだけでも画期的なことだ)そのガムランに似たプリペアード・ピアノの響きが醸す東洋的響きとヨーロッパの伝統文化が生んだ戦後現代音楽の革新家オリヴィエ・メシアンガムランへの憧憬取り込みの、その響きのなんと大きな違いだろう。違和なく聴けるのは、伸びやかで穏やかなケージの作品のほうであることと思われるが、さてどうだろうか。この稿綴っているあいだに気づいたのだけれど、メシアンの作品に日本を訪れてその印象をもとに作曲されたといわれている「七つの俳諧」(1962)がある。そして、ケージにも同じく易によるチャンスオペレーションの手法を使って作曲された「Seven Haiku」 (1952)というピアノの作品がある。共通するこの<7>という数字は何なのだろう?なにか指し示すものがあるのだろうか。