yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

女流画家の草分け桜井浜江、98才の画業。突き上げる漲る表出の渾身。「安易な叙情に走らず、より大きく、より深く、地の底から湧きあがる力を感じさせるものを描きたい。」あふれる混沌への意志。

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94才の絶筆「富嶽

  大きなもの、広いもの、高いもの、深いもの、心の底よりもり上がるもの  桜井浜江

イメージ 2新聞での番組欄タイトルが正確にはどんなだったか・・・、たぶん「98才・・・うんぬん」だったとおもうけれど。一瞥興味惹かれて覗いたNHKテレビの「新日曜美術館」だった。直感どおりついつい最後まで見てしまった。よかった。投稿のためネットで確認すると「10月12日放送」とあった。番組タイトルは「地の底から湧き上がる力 灼熱の女流画家 桜井浜江」とあった。初めて耳にする画家だった。まさしく!。確かに大いに感じさせるものがあった。旧?世代の女流洋画家といえば三岸節子といったビッグネームぐらいしか思い浮かばない単なる教科書的名画鑑賞ミーハーでしかないのだけれど。さて、この女流画家・桜井浜江は≪47年雑賀文子、三岸節子らと女流画家協会を創立するなど、女性洋画家の草分け的存在≫だそうで、洋の東西問わず女性画家ゆえの差別、抵抗のなかにあっての長きにわたるその画業(1931年の第1回独立展入選から94才の絶筆「富嶽」に至るまで)だけでもすごいことだけれど。≪山形県の代々地主の家に生まれ、女学校を卒業後、縁談を断ると家出同然で上京・・・画家を志して1930年洋画研究所で里見勝三らに学び、フォービズムの洗礼を受けます。≫とある。さきの三岸節子ともども大地主、資産家を出自とするのも興味深いところではあるけれど、それはともかく、時代の流れといえ≪感覚を重視し、色彩はデッサンや構図に従属するものイメージ 3ではなく、芸術家の主観的な感覚を表現するための道具として、自由に使われるべきであるとする。≫(WIKI)フォービズムにはじまり、≪安易な叙情に走らず、より大きく、より深く、地の底から湧きあがる力を感じさせるものを描きたいと、死の直前まで休むことなく挑み続けた≫というそのエネルギッシュな画業はたしかに心を捉えるものがある。≪すさまじい生命感や運動感は大画面でなければ表現できないと≫、70才を過ぎてから大画面(200号-259.1×181.8)に挑み94歳の絶筆「富嶽」に至るまで、ほとんどの作品は200号だった。≫という突き上げる漲る表出の渾身。あふれる混沌への意志。けれどテレビ映像での生前の姿は脱俗エキセントリックでもなく小柄で華奢だった・・・。「地の底から湧き上がる力、そんなものにしようと心がけました。」という後期の圧倒する大作群、その迸りうねる情動の様相より、その前の暗闘模索?していた時期の作品が私の好みではあるけれど、さて・・・。



画像上、「壷」、下「途上」