yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ホコリまみれの、1969年に公開されたソ連制作の映画のパンフレット、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』。

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The Brothers Karamazov (1969) (English subtitles). Part 2/3 (5/5).

          

・・・まったく人は誰でもすべての事について、すべてに人にたいして罪があるのです。・・・『カラマーゾフの兄弟

私達が一日一日を平穏に暮らしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人間が密かに自己犠牲を捧げているからだ。  タルコフスキー

昨日のブログ投稿記事のために吉増剛造の詩集を探していて、たまたま手にしたホコリまみれの映画パンフレットがドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』だった。1969年に公開されたソ連制作の映画というから、政治の季節の真っ只中での公開で、当方も大学在学中でのことだった。たぶんドストエフスキー読書の狂熱の渦中であった頃だったろう。ああ・・・なんという月日の経過であることか。ディテールなどほとんど忘れ去り記憶の彼方であるけれど、考え方、思想の骨格だけは染み付いているようだ。それでいいのだろう。
なにやら最近、新訳のドストエフスキーが好調なようで・・・。

≪ひとりの父と三人の息子と、彼らの間にいる一人の女、その女をめぐって彼らは互いにやけくそに争う。一人の召使が父を殺すことによってこの争いを解いてしまう。そのとき彼は、息子の一人、イヴァンと申し合わせたのだと信じている。この事件のために他の一人、ミーチャが殺人の疑いを受け、有罪とされてシベリヤへ流されなければならないことになる。しかし末弟のアリョーシャは、この馬鹿らしくタイタンのように荒れ狂う劇場の嵐の中に、深い意味を求め見出すのである。・・・≫(トゥルナイゼン『ドストエフスキー』新教新書)うむうむ、そうだった。≪殺人者・娼婦・酔いどれ・囚人・白痴・死に瀕する者等のような例外者、アブノーマルな人間≫(同上)たちが登場する、人間の激しい情念のドラマだった。一体全体そもこの「人間とは何か」・・・。めくるめき、神と人間をめぐる思想の書でもあった。
≪恩寵は死から生への危機である。・・・だからキリストの救いのおとずれは、不安にすることであり、震撼することであり、すべてのものを疑問の中におく攻撃そのものである≫(同上、カール・バルト「ロマ書講解」より)
まさしくドストエフスキーの小説はそうした≪不安にすることであり、震撼することであり、すべてのものを疑問の中におく≫場であった。そのように読むことを仕向けたのだった。

≪「・・・じっさい、よく人間の残忍な行為を「野獣のようだ」と言うが、それは野獣にとって不公平であり、かつ侮辱でもあるのだ。なぜって、野獣は決して人間のように残忍なことはできやしない。あんなに技巧的に、芸術的に残酷なことはできやしない。虎はただかむとか引き裂くとか、そんなことしかできないのだ。人間の耳を一晩じゅう釘づけにしておくなんて、よし虎にそんなことができるとしても、思いつけるもんじゃない。とりわけ、このトルコ人は一種の情欲をもって、子供をさいなむんだそうだ。まずお手柔らかなのは母親の胎内から、あいくちをもって子供をえぐり出すという辺りから始まって、ひどいのになると乳飲み子を空へ放り上げ、母親の目の前でそれを銃剣で受けて見せるやつさえある。母親の目前でやるというのが、おもなる快感を構成しているね。ところが、もう一つ非常にぼくの興味をそそる画面があるのさ。まず、ひとりの乳飲み子がわなわなふるえる母親の手に抱かれていると、そのあたりには闖入して来たトルコ人の群れがいる、こういう光景を想像してごらん。この連中は一つ愉快なことを考えついたので、一生けんめいに頭をなでたり笑って見せたりして、当の赤ん坊を笑わせようとしていたが、とうとううまくいって赤ん坊が笑い出したのさ。このとき、ひとりのトルコ人がピストルを取り出して、その顔から一尺と隔てていないところでねらいを定めた。すると、赤ん坊はうれしそうにきゃっきゃっと笑いながら、ピストルを取ろうと思って小さな両手を伸ばす、と、いきなり芸術家はこの顔をねらって引き金をおろして、小さな頭をめちゃめちゃにしてしまったのだ・・・いかにも芸術的じゃないか?ついでに言っとくが、トルコ人はすこぶる甘いものが好きだってね。」
「兄さん、なんのためにそんな話を持ち出したんです?」とアリョーシャがたずねた。≫(『カラマーゾフの兄弟』第五編・Pro et Contraより)

これらの後続の部分は、ずいぶん(2年ほど)前に
『神ちゃま』!に流した涙。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第五編より
とタイトルして投稿している。あわせてご案内まで。


ドストエフスキー別稿――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/44976096.html 『人間が不幸なのは、ただ自分の幸福なことを知らないからです』(ドストエフスキー