Sentimental journey(Kazuko Shiraishi & Itaru Oki)
トランペッターはよく歌う。いや、この沖至がとりわけそうなのか。ということで、きょうはフリージャズ畑のトランペッターとして70年代、名を馳せていた?沖至の『幻想ノート』(1975)を取り上げよう。だいぶ前に≪
トランペッター沖至トリオの『殺人教室』(1970)≫とタイトルして投稿しはしたが、徹底性の不足にいささかの難ありとの評で終わった。そのアルバムより時の隔たること5年。沖至個人の成熟というより、ユニットとしてのフリーフォームの洗練、ゆとりを強く感じさせるアルバムに仕上がっている。大人になったのだ。先のアルバムでの翠川敬基(b/piano)、田中穂積(ds)に加えこのアルバムでは藤川義明(as)が名を連ねている。この3者がおのおのすばらしく達者なフリーパフォーマンスを聴かせてくれている。リーダーの沖至が霞むほどといえるぐらい熱い。これ自体が聴きものともいえるほどのすばらしさだ。『殺人教室』(1970)に較べ、はるかにすばらしいフリーコレクティヴパフォーマンスだ。リーダー沖至は奥ゆかしいのかあえて前に出ることなく束ねることで善しということなのだろうか。そうした印象のするアルバムといっておこうか。ところでこのアルバムの興味の引くところは詩人の
吉増剛造(よします・ごうぞう、1939- )本人との自作詩の朗読とのコラボレーションが収録されていることだろうか。あいにく時代(70年前後の世情)を代表する、イメージ喚起力するどい、その名作詩『古代
天文台』が残念ながら手元になかったので、かわりに所蔵している、これまたこのきらびやかなイメージ切り裂き
言語疾走する詩人の代表的な詩集『
黄金詩篇』(1970)より長大詩の「黄金
詩篇」より冒頭部分を引用してこの稿擱くとしよう。
おれは署名した
夢……と
ペンで額に彫りこむように
あとは純白、透明
あとは純白
完璧な自由
ああ
下北沢裂くべし、下北沢不吉、日常久しく恐怖が芽生える、なぜ下北沢、なぜ
信じられないようなしぐさでシーツに恋愛詩を書く
あとは純白、透明
完璧な自由
純白の衣つけて死の影像が近づく
純白の列車、単調な旋律
およそ数千の死、数千の扉
恐るべき前進感
おれは感覚を見た
純白の、数[かず]無数
純白の、無数の直立性
純白の、数千の扉
道はただ一筋、死にいたる扉を考えていたのは
まぼろしであった
夢であった
夢のなかの、夢のなかの、夢
・・・・
沖至 『幻想ノート』(1975)
沖至(tp)、藤川義明(as)、翠川敬基(b,cello)、田中保積(ds,per)
吉増剛造 : poem
Side one
1.黒い鉄ねこ面
2.
サン・ドニ通りの子猫たち
3.
エスカルゴ
Side two
1.ほほえむ南里さん
2.古代
天文台
3.シザーとカポネ