yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒほか。『ユトレヒト(電子音楽スタジオ)・電子音楽作品集』(1968)。ノイズの暴虐に身を曝しおのれを空しく放心する。アーティフィッシャル、人工性の美学の極致。

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Gottfried Michael Koenig                     Zoltán Pongrácz(右)
イメージ 2イメージ 3サッカー・ワールドカップアジア最終予選でのオーストラリアとの大一番を迎えての、サッカー日本代表岡田武史 監督に聞くをテレビで観ていたら時間がなくなってしまった。でも、本題のレコード鑑賞記を休むのはなんだか・・・と言うことで、ガンバって言葉をしぼり出すこととしよう。
取り上げるレコードはドイツグラモフォンより出されていたLP6枚組みのアヴァンギャルドVOL.2ボックスセットのうちの一枚で『ユトレヒト(電子音楽スタジオ)・電子音楽作品集』(1968)。以前、フィリップスレーベルの通称ギンジャケ現代音楽シリーズの一枚を取り上げたけれど、それは【若きシュトックハウゼンとの共同作業(From 1954 to 1964 Koenig worked in the electronic music studio of West German Radio at Cologne, assisting other composers (including Stockhausen, Kagel, Evangelisti, Ligeti,)を担っての、いわば先駆的な電子音楽の貢献者として斯界でその名の知られているドイツのゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒ Gottfried Michael Koenig (1926‐)が、そのケルンを去り1964年以降ドイツ・ケルンから活動拠点をオランダ・ユトレヒト(大学)の電子音楽スタジオに移し、そこで、彼のディレクションのもとに制作された作品が今日のアルバムに収録された4作品とのことだ。】として紹介し≪ゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒほか『ユトレヒト(電子音楽スタジオ)・電子音楽作品集』。音色の多様・多彩性、そのイマジナリーな電子の響き。)≫とタイトルしてまとめた。で、2枚目の今日のアルバムも、そのオランダ・ユトレヒト電子音楽スタジオで制作されたケーニッヒほか2人の作品を収めたアルバムだ。特徴的なのは徹底的な電子音のみでのアルゴリズム、プログラミング構成でなった電子音響作品であるということといえるのだろう。いわばコンピュータそれ自体が発するノイズ・電子音響作品と言うわけなのだろう。

≪ケーニッヒは作曲上のアイデアとそれを実現するための技術上のメディアの相互作用に興味を持っており、これは彼が電子音楽の作曲を始めた当初から明らか: 彼はいくつもの機器をつなぎ合わせて作曲プロセスの複雑な「プログラム」を形づくることによって電子音楽を作曲していた。

この25年間はコンピュータの力を借りた作曲過程のプログラミングに専念している。この分野でケーニッヒは孤高の先駆者である。彼の作曲プログラムは、12音技法による作曲経験と、電子音楽スタジオでの作業からインスパイアされた作曲の新しい可能性を結合させるものである。 ≫(ネットケーニッヒについての覚書、より)
                                    Rainer Riehn(右)
イメージ 4この徹底性がアーティフィッシャルで小気味いいのだ。轟然とノイズがオートマチックに鳴り響く。このアーティフィッシャルなノイズ快感が、えも言われぬ高揚感をもたらすのだ。いつも言うことなのだけれど、これは一体何なのだろう。またも同じことの繰り返しに終始するのだけれど、前回投稿記事で述べた≪電子音は単なるノイズだけではないはずだ。ノイズの混沌は、なにか私たちに呼びかけているのではないだろうか。出なければ、どうしてこうまでノイズに魅入られるのだろう。何か違う次元への誘いのように聴こえるのは私だけではないはず・・・。この体験は一体どう了解すればいいのだろう。これは、ズーっと電子ノイズ体験についてまわる私の疑問であり、不思議といえよう。どうしてノイズは我を忘れさせ、我を空しうするのだろう。美しい音楽を聴くこと以上のこの没我の不思議体験(カタルシス)は一体なんなのだろう。・・・だから電子音楽・ノイズはハマルともう抜けられない。≫。リーダーのケーニッヒ以外の、ハンガリーの作曲家ゾルタン・ポングラッツZoltán Pongrácz(1912 - 2007)とドイツの作曲家ライナー・リーンRainer riehn(1941 - )の2人の電子音響作品も制作手法としてはケーニッヒと同様(あってとしての話だけれどユトレヒト派?)であるらしく機械それ自体が発する、いわば機械語をノイジーに歌い上げ、唸り叫ぶのだ。この種の電子音響リアリゼーションは、ローランド・カインroland kaynがあった。たとえば、

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/27492510.html ローランド・カインの異様異形なデジタルコスミックノイズの世界

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/23754202.html ひたすらに音響としてノイズを聴く強い意志ローランド・カイン

があり、
趣き、制作手法はすこし違うけれどアーティフィッシャルマインドは相同といえるだろうピエール・アンリがあった。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/48033231.html 人の脳波を巨大なアナログ・シンセサイザーに入れ音響合成して作られたノイズサウンド、サイボーグノイズマシン・ピエール・アンリ『Mise en Musique du Corticalart』(1971)。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/43471596.html 徹底した機械派、人工性の美学の極致、アーティフィッシャルな幻想のエロス。ピエール・アンリ『Prismes』(1973)

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/42979466.html 暴虐のエロスすさまじくカオス的ノイズに快感するピエール・アンリの『CORTICAL ARTⅢ』(1973)

というように・・・。

脳髄に荒々しく襲いかかり、そのノイズの暴虐に身を曝しおのれを空しく放心する。もうこれはアーティフィッシャル、人工性の美学の極致であり、これ以上の快感はない。




Tracklisting:

A1.Gottfried Michael Koenig
Terminus II
A2.Gottfried Michael Koenig
Funktion Grün

B1.Zoltán Pongrácz
Phonothese

B2.Rainer Riehn
Chants de Maldoror



参照:


http://www.metzger-riehn.de/ Homepage von Heinz-Klaus Metzger und Rainer Riehn