スティーヴ・ライヒ 『Music For 18 Musicians』(1978)。反復のなか、意想外の美しさの覚識に流れゆく時間はその姿をあらわす。繰り返さなくては見えてこないものがある。
Steve Reich "Music for 18 Musicians" -Pulse
≪「明日、また明日、また明日と、時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、つかの間の燈火、人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ。舞台の上ではおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう、白痴のしゃべる物語だ。わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない。」(シェークスピア『マクベス』から)≫
結婚生活は一も二もなく忍耐です。これがすべてです。べつに訓たれるつもりもないですが。訓たれるほどのリッパな人生を歩んできたわけではないので・・・。畢竟、生きるとは繰り返しに耐えるということなのでしょう。音楽を語らずしてこのようなことばで済ますのはミニマリスト、その芸術には申し訳ないことと思いつつ。
以前も引用したけれど、以下は大岡昇平のことば。
以前も引用したけれど、以下は大岡昇平のことば。
《人間の存在の根源的なひとつの要素として、子供が繰り返しを喜ぶということがある。同じことをしているんです。それは一種の遊びでもあるけれど、われわれの身体条件の中にあるわけですよ。ところが、生活の条件が繰り返しにあるとはゲーテがすでに言っている。まったくゲーテというやつは、たいていのことは言ってしまっているようですね。》
≪飽きるほどの繰り返しにも意義はある。生きることとは反復繰り返し。そして、すこしばかりの差異生成。古来より歴史に遺されたことばを堂々巡りするのがヒトの生の実相ということなのだろう。私が考えるようなことは、すでに数千年前の人間が考えていたことと大同小異だ。畏れ多くもギリシャの哲人。中国の孟、老、孔子。よくも飽きもせず相変わらずの人生を語り生きてきたものだ。プラトン以降すべての哲学はそのプラトン哲学の脚注に過ぎないとは、イギリスの哲学者ホワイトヘッドのことば。形而上の哲学はともかく人生いかに生きるべきかなどと云う人生論は、人間が人間である限り、超人というように、その存在構造が変わらない限り堂々巡りでなくてなんなのだろう。反復繰り返しと云うことだ。けれど、その反復繰り返しのうちにしか差異・ズレによる新たな存在生成もありえない。価値生成もありえない。≫
とは、これまた反復繰り返しのミニマルミュージックの投稿記事に記したことば。
《もう一つ、アート全般、そして自然へのアプローチの基本的観念としてあるのが、反復と周期性の問題だ。何かがあるとすると、そのものの順序は反復されなければならない――そのものだけでは有限だからだ。反復するには、コピーをしなければならない。完全に同じか、少し違うコピー。周期性は自然の基本的特徴だ――光、原子、星の一生、銀河の一生はもちろんのこと、遺伝学でもそうだ……そうすると、この周期性、それに忠実な複製、反復という要因から、いかなるゲームが登場するか。――これは、宇宙の全般的在り方、というか宇宙の終わりの在り方につながる問題だ。》
☆ ――――反復の過程で少しずつ誤差が生じてくる。これがないと、また継続がない。異常発生があるからふつうの発生がある。
とは作曲家ヤニス・クセナキスのことば。5億年の倦まず弛まずの飽きるほどの反復繰り返すコピーの積み重ね、その微妙な差異、ズレの結果が人間であるということだ。
斯く、ことばでの講釈など、このミニマルミュージックの傑作『Music For 18 Musicians』(1978)には不要なことだろう。反復のなか、意想外の美しさの覚識に流れゆく時間はその姿をあらわす。繰り返さなくては見えてこないものがある。繰り返しによる差異生成。これを戯れと呼ぶか?
死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。(チャールズ・チャプリン)
人生においてはとうてい重要とは思えないもの、無いなら無いに越したことはないようなものたちによって、かろうじて人生そのものが存続しているのだった。じっさいいまの彼は過去のために生きていた、そしてそれで良いと思っていた。「ああ、過去というのは、ただそれが過去であるというだけで、どうしてこんなにも遙かなのだろう」要するに、彼はもう五十歳だったのだ。 (磯崎健一郎 『終の住処』より)
Tracklist:
A. Pulse - Sections I - IV 26:55
B. Sections V - XI - Pulse
A. Pulse - Sections I - IV 26:55
B. Sections V - XI - Pulse
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