yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ミシェル・レドルフィ『Immersion / Pacific Tubular Waves』(INA-GRM・1980)。≪母胎へと遡る音楽の始源への道と、水---海という生命の始源への道≫

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Michel Redolfi - Crysallis [ Grenoble • 1992 ]

            

≪「客体Objectsとともに人は深く夢みるのではない。深く夢みるためには物質Matieresとともに夢みなければならない」(ガストン・バシュラール)≫
イメージ 2きのう投稿したジョン・ゾーン John zornにしろ、きょう投稿する水中音楽家ミシェル・レドルフィMichel Redolfi(Marseille, France, 1951-)にしろ、すでに、黒めがねの韜晦せるジャズ評論家、故間章ともどもその名を聞き及んでいた先鋭な評論家?竹田賢一が、前調べのためのネット検索中分かったことなのだけれど、1985年という今からおよそ四半世紀前に記事をしたためているではないか。≪竹田賢一/ジョン・ゾーンのコブラ・ツイスト・ゲーム音楽における構造についての体験的考察 CHRIS001(1985年6月発売)≫と≪竹田賢一/水中音楽家ミーシェル・レドルフィMichel Redolfi(同時代音楽違人列伝1) CHRIS002(1985年7月発売)≫であった。何もこれ以上に、ドシロウトの一音楽ファンでしかない私が付け加えることなどない。
その記事で取り上げられている音源は今回の『Immersion / Pacific Tubular Waves』(INA-GRM・1980)とはちがうけれど、基本的なコンセプトは同じなので、以下を其処から引用しよう。
すなわち≪水中で演奏(?)され、水中で聞くためにつくられたものなのだ。ふつう大気中の音は1秒間に約340メートル伝わる、それに比べ水中では4倍以上、およそ1420メートルというスピードだ。そのうえ、地上で音を聞くとき、ぼくたちは、膜の振動によってステレオで聞くのだが、水中では骨格伝導によって聞くのでモノーラルになる。・・・・・
ボディ・スピーカーにしろ水中音楽にしろ共通する点は、音を自らの身体と離れたところからやってくる客体として認識するのではなく、まさに音に包まれる、音(=外界)との距離感を失った状態に自らを置くという欲望と関係している。(アルバムのライナー・ノウツには、「客体objectsとともに人は深く夢みるのではない。深く夢みるためには物質matieresとともに夢みなければならない」というバシュラールの言葉が引用されている)。 
液体に身体を包まれ、骨格伝導によって音を聞いていた時期は誰にでもある。母の胎内にいて、心拍音や体内の音を聞いていた10カ月に満たない期間だ。レドルフィの水中でコンサートを行うという、一見気宇壮大な発想が、なんとなく頬笑ましく、むしろ夢みがちな幼児性を帯びて感じられるのも、発想の根源に横たわる彼の母胎回帰願望のせいかもしれない。
 この母胎へと遡る音楽の始源への道と、水-----海という生命の始源への道が、実は同一の道だったと身をもって証明しているのが、ミシェル・レドルフィではないだろうか。≫
ま、基本的にこれ以上の紡ぐことばをもたない。電子変調を加えられたそれら水にまつわる音響の諸相が奇異なものでなく刺激的でもないのは、水のイメージからすれば頷けるものだ。およそ人が生命と共にある<水>から受けるイメージは包まれる安穏、軟らかさといったものだろう。したがってと言うべきか、鬼面人を驚かす類の電子音楽ではない。
まさにこの作曲家が引用しているという≪「客体objectsとともに人は深く夢みるのではない。深く夢みるためには物質matieresとともに夢みなければならない」(ガストン・バシュラール Gaston Bachelard, 1884 - 1962)≫だ。物質の想像力。

3年ほど前の拙ブログへ≪アンドレイ・タルコフスキーと水≫とタイトルし、投稿した記事がある。以下だった。
先日ブログにて、水のことについて少しふれた。というのも、取り上げたアルバムが、巨大な鍾乳洞の洞窟内でパフォーマンスされた電子音楽であったからだった。悠久の時を刻み鍾乳石をを作り上げる地下水の滴り落ちる音、満々とたたえ黙して澄明な地下水との戯れる人為がおりなす音の電子変容はテクノロジーをもってしての生命始原へのタイムトリップの趣であった。洞窟と水ということで、生命の生誕の原基である水と海、そして洞窟が子宮とその羊水と同定され、人間の生誕、その生命進化の永きを思ったことだった。人は子宮羊水の中で、海から陸へと生物進化してきた道のりを歩む。すなわち、個体発生は、系統発生を繰り返すというかの有名なヘッケルの反復で、子宮羊水のなかで一気呵成に生命史を駆け抜けるというものであった。そこには人が水を欲し、のど潤し、澄む水に浄化慰撫され、心洗われるというような感性の原基があったとする根源的イメージがある。水に人は和む。】

水中での音と≪音楽の始源への道≫。

唐突だけれど、
俗世界には「上善如水、水善利万物而不争、居衆人之所悪」

(上善は水の如し、水は善(よ)く万物を利(り)して争わず、衆人の悪(にく)む所に居(お)る)

理想的な生き方をしようと思うなら、水のあり方に学べ。
水は万物に恩恵を与えながら、自分は人のいやがる低い所に流れていく。

といった根源物質<水>よりする老子尊い訓えもある。


Michel Redolfi 『Immersion / Pacific Tubular Waves』(INA-GRM・1980)

Tracklist:
Immersion (24:35)
 A1 Surface 6:36
 A2 Immersion Partielle 3:47
 A3 Immersion Profonde 5:34
 A4 Immersion Totale 8:02
Pacific Tubular Waves (24:52)
 B1 Inner Tube 3:50
 B2 Crystal Lips 3:22
 B3 A Smooth Ride 3:43
 B4 Pacific Motion 9:20
 B5 The Underwater Park At Sunset 4:07

Credits:
Artwork By [Illustration Couverture], Photography [Stéréoscopiques] - Michel Redolfi
Artwork By [Technique Et Réalisation Du Relief Anaglyphique] - Guy Ventouillac
Other [Collection Directed By] - François Bayle
Photography [Stéréoscopiques] - Jean-Michel Bragoni

Notes:
Both pieces programmed with the digital synthesizer Synclavier.

Immersion (1980) mixed in Groupe de recherches musicales studios (Paris, France).
Underwater recording made in La Jolla, Windanesea, Birdrock (California, USA).
For Jon Appleton.

Pacific tubular waves (1979) commissioned by Groupe de recherches musicales.
Award Luigi Russolo 1979 (Varese, Italy).