yuki-midorinomoriの日記

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エクトル・ベルリオーズ『レクイエム(死者のための大ミサ曲 )』。この時代的なロマン主義。神を凌駕せんとする、ロマンにあふれた劇的に演出する近代ミサ曲。

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H Berlioz,Requiem(Grande Messe des Morts): Lacrymosa

           

            罪ある人が裁かれるため
            灰よりよみがえるその日こそ
            涙の日なり。

            主よ、慈悲深きイエズスよ、
            永遠の安息を彼らに与えたまえ。


ベルリオーズの『レクイエム Requiem(死者のための大ミサ曲 Grande Messe des morts)』。
【「精神的深みの欠如が大きさで償われている」というのが、この作品について言われてきた一般的評価であった。事実、その「大きさ」のために演奏の機会も制限され、厳格なミサ典礼から逸脱したテキストの扱いは、じっさいの儀式に供される機会をも妨げたようだ。】(解説・萩原秋彦)。のっけから封入解説冊子からの引用ではじまり、いささか気がひけるのだけれど、まさにこの通りで、こうした実感は偽らざるところといえよう。ベルリオーズの傑作であるとされ、作曲家自身もそう自負していたようだけれど・・・、≪「精神的深みの欠如が大きさで償われている」というのが、この作品について言われてきた一般的評価であった。≫。斯く、あまりのドラマ性、過剰なまでの音作りに、それらの評価は帰結しているのだろう。すばらしい傑出のオーケストレーションではあるけれど。ここまでするかといった印象は拭えない。しかしベルリオーズは【・・・この「死者のための大ミサ曲」は、礼拝堂の巨大なドームのもと、大群衆の集う儀式で鳴り響くことを想定して作曲された。さらに革命後のパリの音楽界に蔓延していた「外形の大きさ」というという時代的風潮のもとで着想されたのである。】(同上)この時代的なロマン主義。神を凌駕せんとする、ロマンにあふれた劇的に演出する近代ミサ曲。
きょうも、昨日投稿したヘンデルの「メサイア」と同時に、わが町の図書館にて借りてきたアルバム鑑賞。




エクトル・ベルリオーズ Hector Berlioz『レクイエム Requiem(死者のための大ミサ曲 Grande Messe des morts )』

入祭唱とキリエ(Introit et Kyrie)
続唱(Séquence)
怒りの日(Dies Irae)
そのとき憐れなるわれ(Quid sum miser)
恐るべき御稜威の王(Rex tremendae)
われを探し求め(Quaerens me)
涙の日(Lacrymosa)
奉献唱(Offertoire)
イエス・キリストよ(Domine Jesu Christe)
賛美の生贄(Hostias)
聖なるかな(Sanctus)
神羊誦と聖体拝領唱(Agnus Dei et Communion)