美術家・森村泰昌『なにものかへのレクイエム(光りと地の間を紡ぐ人/1946年インド)』。「哲学しているか?」と問いかけるものあり。
『なにものかへのレクイエム(光りと地の間を紡ぐ人/1946年インド)』 森村泰昌
仮装変身する美術家・森村泰昌(もりむら やすまさ、1951 - )。その最新のコンセプトによる「なにものかへのレクイエム」からの一枚。新聞掲載の写真(作品)からメッセージ。≪哲学しているか?≫もちろんこれは私の勝手な印象、認知でしかないのだろうけれど。簡素な部屋に糸巻き機と新聞を目にする上半身裸の聖者、いやインド独立の指導者・ガンジー(1869 - 1948)とおもいきや、美術家・森村泰昌扮するガンジーの写真だった。インドというよりなにかニッポンを感じさせますが・・・。タイトルは『なにものかへのレクイエム(光りと地の間を紡ぐ人/1946年インド)』とあった。この元となる、時代を映した写真はアメリカの雑誌「LIFE」の表紙を飾った?もの。
森村泰昌 西洋美術はわからなくて当然 ――では、最後に、私たちが西洋美術をもっと有意義に楽しむ方法を教えてください 美術館へ行ったら、まず絵ではなく来場者を観察する。腕組みをして真剣に見ている人がいますが、案外そういう人に限ってよくわかっていない(笑い)。なぜなら私自身がそうだからです。絵というものはそもそも一人ひとりの作家の勝手な思いで描かれているものなので、そんなに簡単に他人に理解できるシロモノでもない。また作家の立場から言えば、そんなに簡単にわかってたまるか、という思いもある。なので、わからなくて当然。そういう仲間が大勢いることを確認して安心し、その後、全体を俯瞰していく。 ――1点1点鑑賞する必要もない そう。ざっと見てその中に1、2点、心に引っかかる作品があれば、しめたもの。ただ、気に入った作品の感想は言葉にするといいかもしれません。そこから見えてくることって案外多いから。やや気取って口にしてみるといいですよ。自分でも思いもよらない発見があったりします。私自身もそう。作品を人に説明するため、文章や言葉にしてきた。それが自分自身をより深く突きつめることになったり、次のアイデアにつながったりしていますから。