ストラヴィンスキー 『交響曲集』。ストラヴィンスキーなのか、サイモン・ラトルのストラヴィンスキーなのか?
ストラヴィンスキーはスゴイ。あたりまえですが。ネット図書館で借り受けた『ストラヴィンスキー・交響曲集』を鑑賞してあらためて思い知らされた。ストラヴィンスキーの交響曲集?ということだが、そういえばこの作曲家の音楽史上の傑作は「春の祭典」にしろ「火の鳥」、「ペトルーシュカ」にしろバレー音楽だった。これは音楽史にとって何を意味するのだろう。戦後音楽の革命児ジョン・ケージも世に出る前に数多くのバレー付帯音楽を書いていたが・・・。それはともかく、以下、アルバム解説にあった指揮者サイモン・ラトルのことばを引用しておこう。これ以上の紹介のことばはない。
【「ストラヴィンスキーの音楽は、高い知性と深遠なロシア的情念の融合体です。彼の中にあるロシア的なルーツがどれほど強いものだったか、そして彼がその存在をどれほど隠し通そうと試みたかは、探れば探るほど明かとなります。およそ大作曲家でも、ストラヴィンスキーほど正しく認識されていない人物は他にいません。『火の鳥』と『ペトルーシュカ』と『春の祭典』という三大バレエに接しているだけでは、彼の音楽のほんの一部しか知らないことになる。今回取り上げた作品の演奏に臨みながら、我々は実に大きな喜びを得ましたし、多くの聴衆が未知なる傑作の存在を受けとめてくれたはずです」】
本アルバムのっけからの『3楽章の交響曲(SYMPHONY IN THREE MOVEMENTS)』(1942-45)の、オーケストレーションに「春の祭典」のあのワイルドでヴァイタルな躍動を聴き、もうこれには堪らなく陶然とする。けれど、つぎの『詩篇交響曲(SYMPHONY OF PSALMS)』(1930)では、ロシアの大地が生み出した古典的な宗教的荘厳を聴くことになる。
それにしても、このストラヴィンスキーの魅力は、作曲家自身のものなのか、それとも、これら作品を見事にリアライズした指揮者サイモン・ラトルの才とすべきなのか。作品の生動する重層的構造を色鮮やかに展開、響かせて魅せるサイモン・ラトル。『詩篇交響曲(SYMPHONY OF PSALMS)』の、歌唱と楽音のスピリチュアルな融合がつくりだす宗教的荘厳も、この指揮者のワザの内にあるといっていいのだろう。
ストラヴィンスキーなのか、サイモン・ラトルのストラヴィンスキーなのか?
ストラヴィンスキーなのか、サイモン・ラトルのストラヴィンスキーなのか?
3. ハ調の交響曲(SYMPHONY IN C)
4. 管楽器のシンフォニー(SYMPHONIES OF WIND INSTRUMENTS)
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http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/60371890.html ストラヴィンスキー『ミューズの神を司るアポロ APOLLON MUSAGETE』(1947年版)。まさしく≪抑制の効いた厳粛さ≫の支配する格調と品格あるバレエ音楽だ。