『大和楽 早春/団十郎娘ほか《定番コレクション》』。大和楽(やまとがく)?。昭和に入ってからの新邦楽、けっこう魅せます。
Geinou Hanabutai 【Matsu no Isao & Soushun】 5/7
≪一つの傘に姉妹が二人の思い出をこめ、早春の情景を歩んでゆく様子が唄われている。≫
ところで、その大和楽とは【昭和初期に男爵であった大倉喜七郎により創設され、成立した新邦楽の一種】とのことで、一中節(いっちゅうぶし)都派の第11世家元でもあった大倉喜七郎によって【「日本の伝統音楽のうちに秘められた精髄を取り出し、それに現代的な発声の衣を纏わせて人々に愛唱される曲の形式を創出しようと試みる楽派」と定義され、1933年(昭和8年)に創設された。】(WIKI)とある。
比較的、時代の浅い芸能ではある。けれど、【「日本音楽の伝統の中から日本の将来の音楽に有益な要素を生かして採り、西洋音楽の優れた側面は遠慮なく消化して、単に西洋趣味に堕さずあくまで日本人らしい感性に立ちながら、しかも現代の生活に適応したものたらしめて進めたいという念願に基づいているわけです。」】(≪洋楽化した邦楽という方向ではなくて、日本音楽の伝統的曲風を存置するといった行き方≫。)という理念の下に西洋化の時代趨勢の中にあっても三味線音楽の伝統がきっちりと貫ぬかれているせいか魅せるものがある。少なくとも、邦楽器でバッハ、ビートルズなどを臆面も無く奏される尻こそばゆい居心地の悪さはない。
伝統的な三味線音楽(浄瑠璃、長唄)の【一中節・河東(かとう)節・宮薗節・荻江節などの長所】プラス【ハーモニー・輪唱・ハミングなど洋楽的手法をミックスしたもの】とあるが違和は感じない。むしろ、その曲趣は【抒情的な美しい旋律を主体とする伝統的情緒を守り、ゆったりと落ち着いた味わい】をもつものといえる。
≪日本人らしい感性に立ちながら、しかも現代の生活に適応したものたらしめ≫たいとの趣意もあって、創設時から≪作詞には長田幹彦・笹川臨風・西條八十・長谷川時雨・北原白秋など当時の文壇・歌壇を代表する作家が参加している。≫(WIKI)
比較的、時代の浅い芸能ではある。けれど、【「日本音楽の伝統の中から日本の将来の音楽に有益な要素を生かして採り、西洋音楽の優れた側面は遠慮なく消化して、単に西洋趣味に堕さずあくまで日本人らしい感性に立ちながら、しかも現代の生活に適応したものたらしめて進めたいという念願に基づいているわけです。」】(≪洋楽化した邦楽という方向ではなくて、日本音楽の伝統的曲風を存置するといった行き方≫。)という理念の下に西洋化の時代趨勢の中にあっても三味線音楽の伝統がきっちりと貫ぬかれているせいか魅せるものがある。少なくとも、邦楽器でバッハ、ビートルズなどを臆面も無く奏される尻こそばゆい居心地の悪さはない。
伝統的な三味線音楽(浄瑠璃、長唄)の【一中節・河東(かとう)節・宮薗節・荻江節などの長所】プラス【ハーモニー・輪唱・ハミングなど洋楽的手法をミックスしたもの】とあるが違和は感じない。むしろ、その曲趣は【抒情的な美しい旋律を主体とする伝統的情緒を守り、ゆったりと落ち着いた味わい】をもつものといえる。
≪日本人らしい感性に立ちながら、しかも現代の生活に適応したものたらしめ≫たいとの趣意もあって、創設時から≪作詞には長田幹彦・笹川臨風・西條八十・長谷川時雨・北原白秋など当時の文壇・歌壇を代表する作家が参加している。≫(WIKI)
「傘の内」(若菜集 一 秋の思)
二人してさす一張の
傘に姿をつつむとも
情の雨のふりしきり
かわく間もなきたもとかな
傘に姿をつつむとも
情の雨のふりしきり
かわく間もなきたもとかな
顔と顔とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花の油黒髪の
乱れて匂ふ傘のうち
あゆむとすればなつかしや
梅花の油黒髪の
乱れて匂ふ傘のうち
歌ふをきけば梅川よ
しばし情を捨てよかし
いづこも恋に戯れて
それ忠兵衛の夢がたり
しばし情を捨てよかし
いづこも恋に戯れて
それ忠兵衛の夢がたり
こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘の涙を乾さぬ間に
手に手をとりて行きて帰らじ
秋の入日の照りそひて
傘の涙を乾さぬ間に
手に手をとりて行きて帰らじ
『大和楽 早春|団十郎娘《定番コレクション》』